私たちの教会について | 日本福音ルーテル長崎教会

日本福音ルーテル長崎教会

長崎市興善町にあるプロテスタントのキリスト教会です。教会での礼拝・集会情報、イベント情報などをお知らせします。

長崎教会の歴史(テキスト版)
【1950(S25)年】
長崎におけるルーテル教会最初の集まりが始まった。於、長崎市榎津町50番地(現在の万屋町1番地15号)、渡辺家。(牧師:マヤ・ウィンテル宣教師、間垣洋助牧師、中尾忠雄牧師)
【1951(S26)年】
長崎市本篭町63番地2の民家を借用して定期的に長崎集会が守られるようになった。
5月  日本福音ルーテル教会定期総会で、本篭町の集会が「日本福音ルーテル長崎伝道所」として認められた。
10月29日 本篭町の家屋土地を購入。
【1952(S27)年】
5月   石居正己伝道師、長崎伝道所主任教職として着任。諫早市泉町389番地に「日本福音ルーテル諫早教会」建築(ドナルド・ウィルソン宣教師)。
【1953(S28)年】
4月  石居正己伝道師、離任。諫早教会のドナルド・ウィルソン宣教師が長崎伝道所兼牧となった。
12月24日 長崎市興善町29番地(現在の興善町2番地26号)に所在する土地建物を買収購入。
【1954(S29)年】
2月15日 長崎市本篭町63番地2の家屋土地、売却。
3月  ドナルド・ウィルソン宣教師、帰米。アルスドルフ宣教師が熊本市から来援、諫早聖山教会及び長崎伝道所の伝道に従事。
5月  太田敦次牧師が長崎教会主任教職に任命されるも、適当な牧師宅が見当たらないまま挙母市(現、豊田市)で開拓伝道に従事。
9月  パーカー・アンスパック宣教師が諫早聖山教会に着任、長崎伝道所兼牧。最初の教会堂、完成。
【1955(S30)年】
4月  太田敦次牧師着任。
5月  パーカー・アンスパック宣教師離任(京都修学院教会へ)。
【1956(S31)年】
4月  長崎伝道所は「長崎教会」となった。岡正治伝道師(2年後に按手礼を受け牧師となった)が長崎教会の主任教職に任命され、太田敦次牧師は神水教会に転出(招聘)。
5月 3日 太田敦次牧師一家、長崎発。
5月10日 岡正治伝道師一家着任。牧師館を長崎市伊勢町5、高木清氏宅裏別棟とした。
9月23日 諫早聖山教会牧師ピーター・ラスムッセン宣教師一家歓迎会。
【1957(S32)年】
6月14日 牧師館建築起工式。
9月12日 牧師館竣工式(司式、P. ラスムッセン宣教師)。
【1958(S33)年】
5月 6日 本教会定期総会(於、池袋教会)で岡正治牧師按手礼受按。
【1959(S34)年】
5月 7日 岡正治牧師、諫早教会兼牧発令。
5月12日 P. ラスムッセン宣教師一家、休暇帰米。
【1960(S35)年】
8月29日 教会電話架設。
9月 1日 岡牧師諫早教会兼牧解任。
9月 3日 P. ラスムッセン宣教師帰任。
【1965(S40)年】
5月 1日 岡牧師、諫早教会兼牧発令。
5月 9日 教会堂増改築竣工聖別式。
5月14日 諫早教会P. ラスムッセン宣教師、休暇帰米。
9月13日 教会堂前面壁画(パンとぶどう、鳩、5つのパンと2匹の魚)製作。
【1966(S41)年】
9月 1日 P.ラスムッセン宣教師帰任、岡牧師諫早教会兼牧解任。
【1967(S42)年】
1月15日 自給教会(第1種教会)宣言、岡牧師招聘決定。
【1968(S43)年】
5月 1日 岡牧師諫早教会兼牧発令。
5月15日 P.ラスムッセン宣教師、京都教会へ転任。
【1973(S48)年】
2月25日 諫早教会組織を「長崎教会諫早伝道所」に変更決定。
【1975(S50)年】
7月 6日 教会堂大型電飾看板取り付け工事。
9月25日 旧諫早教会残務整理完了。
【1976(S51)年】
1月30日 諫早伝道所諸器具類、長崎教会へ移動運搬。
【1984(S59)年】
5月21日~5月22日 教会堂前面壁画、3階「ルター紋章」塗料補修。
10月28日 教会堂献堂30周年記念特別礼拝(司式 岡牧師、説教 山内六郎引退牧師)。
 
 
 
 
【1985(S60)年】
7月21日 教会堂洗面所・トイレ改造工事完成。
【1986(S61)年】
10月29日 教会堂・牧師館接合部屋屋根大修理、聖壇壁面塗装工事実施。
【1987(S62)年】
11月10日 牧師館を教会堂3階に移転。
11月11日 旧牧師館白アリ被害診断。