日露「地図」大戦争!(4)「ダデシュカリアニの地図」(中編の1) | 流じゅーざの『日韓・朝韓』

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バンコク在住のじゅーざです。

 

以下、本題です。


いよいよテーマ「裏日露戦争」の本題に入ります。

 

  近代朝鮮を知るのに重要な資料

 

である

 

  『朝鮮旅行記』あらため『ロシア軍朝鮮踏査記』(平凡社)

 

なのですが…

 

 

「旅行記」と強弁している(笑)なかでも、異色なのが2番目に収録されている

 

  ダデシュカリアニ公爵(?)による「朝鮮の現状」

   (?の意味は次回明らかになります)

 

で、この文章だけは明らかに旅行の道中記ではなく、

 

  朝鮮についての解説と分析

 

になっています。

 

ちなみにこの文章のロシア語原文はこちらからご覧になれます。

 

原本はこちらから閲覧できます。(69ページから)

 

ロシア語を読める方は原文をお楽しみ下さい♪(うちの読者にいるか?)

 

ちなみに原文と訳文を比較すると

 

  原文の最初の3ページくらいが翻訳されていません。

 

やろうと思えば訳せるけど、さすがに時間がない(オレはロシア語のタイプが出来ないからコピペで対応しているため)のですが「中国」という単語がなんども出てきているので、朝鮮と中国の関係について書かれている可能性があります。

 

なお原文の題名は

 

  「Краткий очеркъ современнаго состояния Кореи」

 

なので、直訳すると

 

  「韓国の現状に関する小論文」

 

となります。(なお原文は古いロシア語なので現代のロシアと使用している活字が一部違います。)

 

なお前説でご案内した項目の中で今回関係してくるのは以下の2つになります。

 

(A)戦争には戦場となる地域の地勢などの情報が必要で、陸軍参謀本部は情報を集めて『兵要地誌』という書物を編纂した。『朝鮮地誌略』は1888年に刊行された。

 

(B)地図になると計測が必要となり、日清戦争の勃発によって初めて可能となった。日本陸軍は1894年12月に臨時測図部を編成して測量部隊を各国に派遣した。

 

では以下が

 

  やっと本文になります...(おいおい)

 

(1)「朝鮮の現況」はロシア版「朝鮮兵要地誌略」

 

はっきり書いてしまうとこのダデシュカリアニによる「朝鮮の現況」は

 

  ロシア版の「朝鮮兵要地誌略」以外の何物でもありません。

 

「兵要(用)地誌」とは、横手慎二氏が書いているように

 

  陸軍参謀本部は情報を集めて『兵要地誌』という書物を編纂した。『朝鮮地誌略』は1888年に刊行された。

 

もっともこれは先に日本国内についてのものが先に編纂されたんですけどね。台湾のサイトの書き方が分かりやすいので引用すると

 

   兵要地誌指從軍事需要出發﹐對有關地區的軍事﹑政治﹑經濟﹑地形﹑交通﹑氣象﹑水文等現實和歷史情況進行調查而編製的資料。

  (「兵要地誌」とは軍事の需要から出発して編纂された、関係する各地の軍事・政治・経済・地形・交通・気象などに現状と歴史を加えて調査、編集したもの)

 

 

  まさに「朝鮮の現況」に当てはまります。(きっぱり)

 

日本では先に国内版が編纂され、

 

   その結果 1877年の陸軍省蔵版,関三一校訂,中根淑著『兵要日本地理小誌』 (3冊) となって出版された。 (コトバンク)

 

そして以後、

 

  『支那地誌』は最初の巻が1887年に、朝鮮半島については『朝鮮地誌略』が1888年に、また満州については『支那地誌』の一部として『満州地誌』が1889年に刊行された。ロシアについては、1893年に『西伯利(シベリア)地誌』が刊行された。これは、日本のロシア地誌研究の嚆矢であった。(横手慎二『日露戦争史』(中公新書))

 

こうなる訳ですが、ロシア側では若干早く1886年には

 

  ダデシュカリアニの「朝鮮の現況」あらため「ロシア版朝鮮地誌略」が刊行されていた訳です。

 

そこにかかれている、朝鮮の地理、交通路、自然、農作物、国家機構などの情報は

 

  まさに後に朝鮮に進出するのに有意義な情報

 

ということです。

 

ただしダデシュカリアニの場合は雨にたたられたために朝鮮からロシアに向かう道程の途中まで確認できなかった、という難点はあります。しかし、

 

  その報告書を受けた後継者がきちんとその点をフォローしています。

 

この件はウェーベリ中佐について書く項目で詳しく描きますが、ダデシュカリアニの報告には恐らく(しかしかなりの確率で)別途に沿(プリ)アムール州総督への朝鮮国内踏査の詳しい報告書があがっていたはず。

 

なおこの報告書も含めて『朝鮮旅行記』あらため『ロシア軍朝鮮踏査記』に取り上げられている

 

  軍人による踏査記

 

は、ロシアの地理学情報誌である『アジア地理・地勢・統計資料集』に掲載され、公刊されたものですが、

 

  当時は軍人による探検や踏査の記録が地理学系の雑誌の掲載されるのは普通のことでした。日本でも同じです。(小林茂著『外邦図』(中公新書))

 

(2)ダデシュカリアニが使用した地図

 

そのダデシュカリアニの朝鮮踏査ですが、彼は踏査に際して利用した地図について詳しく書き残してくれています。以下、引用です。

 

  「(前略)私がこの一文を草する時点では、一枚の地図が私の面前に広げてある。しかもこれは、その存在がわが国の誰にも知られていないように思われる、一枚の地図なのである。だが、それも驚くにはあたらない。これは日本語で、日本人の戦略家の需要を辛うじて充たすだけの限られた部数が印刷されたに過ぎないからである。

   ところで、既知の朝鮮地図のうちでは、これが最大で、最も詳細かつ正確な地図なのである。これをソウルで入手した私は、朝鮮国内を約800露里(オレ注:約800キロ強)にわたって検証することができた。山や平野、河川や道路、また若干の小径についてさえ、その位置が驚くべき正確さで記してある。欠点は、若干の町や村の名前がそこでは混乱をきたしている点にある。この地図にはさらに以下のような長所が備わっている。即ち、そこには半島の沿岸地域の水深、ならびにラザレフ(オレ注:永興湾)、釜山、済物浦、大同江の河口といった。朝鮮の著名な四港の平面図と測量値も記載してあるのだ。」

 

ダデシュカリアニがここまで詳細に地図について書いてくれていたおかげで

 

  彼が入手した地図が特定できたのです。

 

それは…

 

  「朝鮮全圖(図)」(明治9年版)

 

ですな。

 

ここでいう「朝鮮全図」は日本の陸軍が作成したものです。

 

「朝鮮全圖(図)」(明治9年版)

 

ただし

 

実は「朝鮮全図」と言われる地図には多くのバージョンがあります。その中で

 

  ダデシュカリアニの地図は「朝鮮全圖(図)」(明治9年版)

 

と特定してくれたのは小林茂・岡田郷子・渡辺理絵共著の論文「東アジア地域に関する初期外邦図の編集と刊行」(2010年)です。(クリックすると論文を読めます)

 

この朝鮮全図は日本軍が明治時代から第2次世界大戦終戦までに作成した「外邦図」と呼ばれる「日本本土以外の地域の地図」のこと。その中でも、参謀本部に測量部が出来る前に作成された地図を小林先生たちは

 

  初期編集外邦図  

 

と呼んでます。

 

日本軍の作った「外邦図」は基本軍人を派遣して測量して作ったものなんですが、「初期外邦図」はまだ国交などの関係から実地の測量が出来ず、いくつもの資料から編集して作成した地図になります。

 

朝鮮も開国をし始めたのが1876年2月の日朝修好条規が嚆矢。

 

しかし日本陸軍が「朝鮮全図」を作成したのは

 

  明治8年(1875年)

 

まだ朝鮮の開国前じゃん…(汗)

 

そう、まだ開国していないので…

 

  朝鮮の海岸部はそれまでに米英仏などの艦船が朝鮮に到達した際に測量した海図を参照…

 

  陸地部分については中国や朝鮮で作られた地図を利用

 

それらを組み合わせて作成したのが

 

  編集図というものです。

 

しかし中国などで昔編纂された地図は実測したものではないので

 

  ルートはともかく地図上の縮尺などは実態に合っていない、という欠点があります。

 

ちなみに日本陸軍製作の初期の「朝鮮全図」には

 

  「明治8年版」と「明治9年版」の2種類がある

 

のですが、何故ダデシュカリアニの地図が「明治9年版」と分かったか論文にははっきり書いていないんだけど理由は簡単。

 

  ダデシュカリアニの詳細な記述によるものですね。

 

実は

 

  「明治8年版」には済物浦、釜山など4つの港・河口の図というのがないのです

 

この4つの港・河口の図が入るのが「明治9年版」の証拠。そして上の引用文に書いてあるように

 

  ダデシュカリアニがその記載があることを記録してくれていた訳です。

 

そう、

 

  1880年代中ごろのロシア人が日本陸軍の編集して作った地図を利用していた…

 

ということなんですな。

 

そして

 

  ダデシュカリアニはその地図を検証しながら朝鮮国内を実地に踏査して回った訳です。

 

長くなったので、ダデシュカリアニの踏査については…

 

  次回に続きます…

 

お後がよろしい様で…

 

なお以下に参考文献(論文)を挙げておきます。(年代の古い順)

 

1)「1880年代の朝鮮をめぐる日ロ関係」安岡明男 1965年

2)『舊韓末韓半島地形圖』の解説 南縈佑原文は1996年、和訳は2006年

3)「朝鮮測図事業と朝鮮民衆」海野福寿 1997年

4)「The Expedition to Northern Korea, Autumn, 1898」 D.A. Samsonov 2004年

5)「露朝関係と日清戦争」佐々木揚 2005年

6)「ロシア帝国と日露戦争への道 - 一九〇三年から開戦前夜を中心に-」加納格 2006年

7)「初期外邦図の作製過程と特色」小林茂・山近久美子・渡辺理絵 2008年

8)「東アジア地域に関する初期外邦図の編集と刊行」小林茂・岡田郷子・渡辺理絵 2010年

9)「ロシア軍による日露戦争現場の地図作製」金窪敏知 2010年
10)「日本帝国時代における朝鮮の領土測量に関する研究」李鎮昊 2014年

11)「日露戦争への道 三国干渉から伊藤の外遊まで」黒沢文貴 2014年

12)「日露戦争と日本外交」伊藤之雄 2016年

 

 

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