国明は大学院生として、考古学の研究室に通っていた。

ここ福岡市西区の北九大学の学園内にある研究室には6人の大学院生が高齢の轟丈太郎教授の教室に所属していた。
今は、博多区祇園町の建築現場で見つかた、古代12、3世紀の史跡の発掘調査をしていた。
今日も学生仲間と現場に入り、遺跡の採掘をしていたのでした。


国明の横で作業していた2学年後輩の女子大生の高田恭子が何か見付けて琢磨に声をかけた。

「綱島先輩、これは何でしょう?」

「どれ、見せてごらん?」

恭子が渡したのは綺麗な緑色の小さな玉だった。

「これ、どこにあった?
もっとあるはずだから、捜してごらん!」

「あっ!
ありました。
またあった。
ここにたくさん埋まっています。」

と言って笊に入れて恭子が国明に渡した玉の数は20個位だった。
良く見ると玉の中央に小さな穴が空いていて、紐が通されていたようだった。

「これはおそらく、腕輪ではないかな!
翡翠の様だね。」

「翡翠の腕輪ですか、綺麗ですね!」

この玉をみた時に国明は遠い時間の底に埋もれていたある記憶が思い出されたのでした。
確かに見覚えがあった。
これは商人から、買った物で、確に誰かの遺品で国明が貰った物だった。
それを、誰かに贈ったような気がするのだが、何時、誰に送ったかは思い出されなかった。

作業が終わって、研究室に戻っても、その翡翠の腕輪が目の前にちらついて、気になって仕方がなかった。
しかし、誰に贈り物としてやったのかはどうしても思い出せなかった。

       翡翠の腕輪

「綱島君、この高田さんが掘り出した翡翠の腕輪を高田さんと協力して洗浄してみてくれないか?」

と轟教授から言われた。

「分かりました。」

二人は夕方までかかって洗浄作業を注意しながらおこなった。
一粒が10mm程の大きさで全部で23個あった。
洗浄中にあることに気付いた。
その数粒に文字が彫られていることが解った。
その文字は『太、国、郎、謝、明』の5個だった。
さっそく轟教授に報告した。
しばらくその翡翠を見ていた轟教授が言った。

「高田さん、網島君、でかした!
凄い発見だぞ!」

「どういうことですか?」

「これは謝国明(しゃこくめい)の遺品だよ!」

「謝国明!
あの南宋臨安府出身の中国貿易商人で博多網首(はかたごうしゅ)と言われた謝国明ですか?」

「そうだよ。
彼は日本に帰化して日本名を謝太郎国明(しゃたろうくにあきら)と言ったんだ。
この翡翠の腕輪は彼の名前が彫られた特注品なんだよ!」

そのことを聴いた国明は霧の中にあった記憶が蘇って来たのでした。

                                                                                (つづく)