大阪の弁護士•長野智子(智聖法律事務所) -9ページ目

発掘された広岡浅子の言葉「真我を知りて婦人自ら立て」




広岡浅子という実業家の底力は、朝ドラ『あさが来た』で広く知られるようになりましたが、近年の史料発掘により、彼女自身の思想がさらに立体的に見えてきました。


その中でも印象的なのが、浅子が残したとされる次の言葉です。


「我が国の婦人の地位が低いという説があるが、これは低いのではなく実力が足りないのである。

実力を養うには知識が必要だが、それよりまず根本の精神、すなわち真我を自覚しなければならない。」


この「真我」とは何を指すのでしょうか。

現代の言葉で言えば、他者によって与えられた役割ではなく、

自分が何を目指し、何に価値を置き、どのように社会に関わるのかという“公的な自己意識”

に近い概念のように思われます。


単なる自己肯定でも、個人的な気分でもなく、

社会と自分の双方に対して責任を負う“主体としての自分”を見出すこと。

浅子はそれを「真我」と呼び、女性が立つための出発点だと語りました。



■ 「大阪のおなごのど根性」に根ざした強さ



近世経済史の宮本又次氏は、『大阪文化論』所収の「大阪女傑論」で広岡浅子を取り上げ、こう述べています。


「明治維新後、町人が市民になり、商人が実業家・企業家になった。

家業が分化しても、昔風の大阪の御寮人(ごりょん)さん気質がなくなったわけではない。

その気質は大阪のおなごの“ど根性”に温存された。

明治期の与謝野晶子も広岡浅子もそんな女であった。」


ここでいう「ごりょんさん」とは、店や家を内側から支え、時に夫以上の実務能力を持ち、決断力や責任感に満ちた大阪の女性像です。


浅子の「真我」の思想は、こうした地域文化とも深く響き合います。

学問を学び、経済を読み、事業を興し、女子教育を推し進めた彼女の行動力は、明治という大変革期においても少しも揺らぎませんでした。



■ 自ら立つということ



「婦人自ら立て」と語った浅子は、

女性の地位向上を“権利要求”の文脈では捉えていません。

まず自分を鍛え、社会に参画するだけの実力と精神を身につけることを説いたのです。


その姿勢は現代にも通じます。

環境や制度を嘆く前に、

自分はどこに“真我”を置くのか。何を成し、どう生きるのか。

浅子の言葉は、時代を超えて静かに問いかけてきます。


堂島川の風が吹くあの場所で、

彼女の声はいまも確かに響いているように思えます。


大阪の豪商「加島屋」と、そこに嫁いだ広岡浅子のまばゆい奮闘




柔らかな光差し込むヴォーリス建築を再現した大同生命本社ビル展示室




精巧な加島屋の模型、堂島川から直接船づけすることが可能であった。船着場も加島家が自費にて設置。


朝ドラ『あさが来た』で一躍知られるようになった大阪の豪商・加島屋。

その家に三井家の令嬢として生まれた広岡浅子が嫁いだのは、まだ幕末の緊張が日本全体を包む頃でした。


明治維新を経て、大阪の多くの豪商たちが没落していく時代。

その大きなうねりのなかで、浅子は豪商の妻という枠を越え、実業家として次々と功績を残します。炭鉱開発、日本女子大学校の創設、大同生命の設立——。

時代の変革期に、男性でも困難だった事業に果敢に挑んだ女性が日本にいたことに、あらためて驚かされます。



■ 堂島川を挟んでそびえた加島屋の巨大な屋敷



かつて大阪・土佐堀川の中洲・中之島一帯には、大名屋敷や米倉が立ち並びました。

その向かいに、巨大な権勢を誇った加島屋の屋敷が構えていたといいます。


大阪の豪商たちはその財力たるや桁外れで、

「必要なら橋は自費で架ける」

と言われたほど。加島屋もまた例外ではありませんでした。


彼らは何を営んでいたのか。

大名貸し、そして米の先物取引における資金提供。

いわば、時代の最先端をゆく“金融業”の中心にいた存在だったのです。


長らく謎に包まれていた加島家ですが、近年、屋敷の図面や新撰組に関わる史料、大名貸しの証文まで発見され、研究が急速に進展しました。



■ 大同生命本社ビルで「加島家と広岡浅子」特別展が開催中



現在、その加島家の屋敷跡に建つ土佐堀川ほとりの大同生命本社ビルでは、

「大同生命の源流、加島屋と広岡浅子」と題した特別展が行われています。


専門家チームにより作成された加島家屋敷の再現模型や、実際に発見された史料が展示されており、

豪商の姿、そして浅子の魂をまざまざと感じられる内容です。

歴史好きにはたまらない空間で、私も思わず時間を忘れて見入ってしまいました。






■ ヴォーリズ建築と、満喜子さんのロマンス



実は私自身、ヴォーリズ建築の大ファンなのですが、

大同生命本社ビルもかつてはウィリアム・メレル・ヴォーリズが手掛けた名建築でした。


そのご縁で知ったのが、

加島家ゆかりのお嬢様・広岡満喜子さんとヴォーリズの恋の物語。


周囲は猛反対。

「華族のお嬢様が外国人と結婚するなど前代未聞」と声を上げたと言います。


しかし、ここで背中を押したのが広岡浅子でした。

柔らかい物腰ながら、信念の人であった浅子ならではの励ましだったのでしょう。

反対を振り切り、二人は結婚し、満喜子さんは後にヴォーリズの事業を支える伴侶となります。



時代の大きな流れの中でも、

自らの意思で未来を切りひらいた女性たちの気骨。

そして、歴史のある一角に積み重ねられた物語の豊かさ——。


堂島川の風景が、少し違って見えてくるかもしれません。


朝の「やる気満々」と夕方の「少しの落胆」のあいだで


ヴォーリス建築 堂島川のほとりに建つ大同生命本社ビル内の展示室の様子


朝、元気なときには不思議なほど前向きになれるものです。

「あれもできそう」「これも今日中に片づけよう」——そんな風に意気揚々と計画を立てるのに、気がつけばたいした成果を上げないまま、もう子どもが帰ってくる時間になってしまう。


そこから先は、夕食づくりや片付け、洗濯物、翌日の準備……。

自分の裁量で使える時間はほとんど残っておらず、「また今日も思ったほど進まなかったな」と、ふっと落胆する瞬間が訪れます。


そんなとき、私を救ってくれるのが

『いつも幸せな人は「2時間」の使い方がうまい』

という本の“斜め読み”です。


著者は、

「あなたにとって本当に大事なことだけをして、毎日を充実させる」

という、シンプルでありながらも核心を突くメッセージを投げかけます。


すべての時間を自由に使えるわけではない人、

朝から晩まで家事や仕事に追われ、ようやく一息つく頃には夜になっている人——

そんな立場の方こそ、限られた時間の中で幸福感を育てることができるのだと教えてくれます。


「2時間」——それは決して特別な魔法の数字ではなく、

自分にとって大切なことに“ほんの少しでも光を当てる”ための単位。


一日のうち、思い通りにいかなかった部分を嘆くよりも、

大事にしたいことへ意識的に向けられた“わずかでも確かな時間”を、

そっとすくい上げてみる。


すると、夕方の落胆は静かに和らぎ、

「今日も悪くなかった」と穏やかに思える瞬間が生まれるのです。


忙しさのなかでも、幸福感は育つ。

限られた時間だからこそ、育て方はシンプルでいい。


そんな小さな励ましを、本からもらえることがあります。