平野啓一郎『息吹』——“二人の自分”が消えるとき
平野啓一郎『息吹』は、読者に静かな衝撃を与える小説です。
作品の中心にあるのは、病により死に向かう本体の“息吹”と、
その本体が生み出した“妄想としての息吹”です。
物語で語り手となる息吹は、自身が「助かった自分」だと信じて日常を送っています。
しかしあるとき、明晰夢のような気づきが訪れます。
——自分は、本体である“死にゆく息吹”が生み出した妄想なのではないか。
妻や子どもと過ごす日常も、
がんを免れたという安堵も、
未来への小さな希望も、
すべては「死を受け入れがたい本体の息吹が描いた幻想」ではないかという疑念が膨らんでいきます。
主人公はその事実を妻に告げようとしますが、妻はまったく信じません。
当然です。
彼女自身が“妄想世界”の住人なのですから。
語り手だけが現実を観察し、理解し、そして恐れ始めます。
「本体が死ねば、自分も消える」という確信が、作品の緊張を高めていきます。
やがてその時が訪れ、
“本体”である息吹が現実世界で亡くなった瞬間、
妄想としての“助かった息吹”の世界からも、彼は跡形もなく消えてしまいます。
そして最後の場面。
朝になり、突然現れない父を探す母親が「パパは?」と声を上げます。
その姿を、息子だけが静かに見つめています。
「……パパ?」
息子は母に問い返します。
その短い言葉には、
父が“二人”いたことの気配を、
あるいはどこかに不自然さを感じ取っていたことを、読者に暗示させる余韻があります。
『息吹』は、分人主義を極限まで推し進め、
「自分が“自分の妄想”であると気づく」
という、きわめて稀有なテーマを扱った作品です。
読む者に、
もし自分が選ばなかった人生、進まなかった未来があったとして、
それがどこかで“妄想”として息づいているのではないかという不思議な感覚を残します。
深い余韻と哲学性を併せ持つ一作でした。
