遠い太鼓 (講談社文庫) [ 村上 春樹 ]
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村上春樹さんの随筆や紀行文には、何気ない日常の風景を、無機物をまるで生き物のように描く独特の目線があります。先日読み返していた『遠い太鼓』の「カナーリさんのアパート」編では、彼のこの感性がひときわ際立っていました。
ローマでの生活は、村上さんにとって決して順風満帆ではありませんでした。初めは半地下のアパートに住み、空き部屋が出るのを待つ日々。トリノから来たフィアットの重役がローマからトリノに帰るのを待って、その部屋がやっと手に入る…というような生活です。しかし、ようやく眺めのよい階上の部屋に移った村上さんは、景色そのもの以上にローマの路上に目を奪われます。
ローマの路上駐車はまさに戦場です。駐車スペースは極端に少なく、空きスペースを見つけること自体が大きな喜び。そこで村上さんはこう書きます。
「信じてもらえないかもしれないが、イタリアの車には表情がある。」
路駐していた車が空いたスペースにすっと収まる瞬間、その車はまるで嬉しそうににっこり笑い、いそいそと入っていく――村上さんの目にはそう映ったのです。逆に、せっかく空いたスペースを他の車に横取りされると、ガクッと落胆し、しょんぼりと次のスペースを探しに行くそうです。
「本当にそうなのだ」と村上さんは力説します。
他方で、村上さんは、日本の車には表情はない、と言います。何を考えているのか読み取りにくく、そこに人間味のあるドラマはほとんどありません。だからこそ、村上さんの目にはイタリア車の振る舞いが生き生きと映ったのでしょう。
この文章を読んでいると、つい村上さんの視線に引き込まれ、私たち読者も「イタリア車の表情」を本当に感じているかのような錯覚に陥ります。我々読者は、村上さんにかつがれているのでしょうか?
私もいつかイタリアを訪れ、この「笑顔の車たち」が本当に存在するのかを確かめてみたいと思いました。もしかすると、駐車スペースを見つけた瞬間に小さな喜びを表情で表すイタリア車を、実際に目撃できるかもしれません。
文学の面白さは、こうして日常の何気ない光景を、生き生きと感じさせる力にあります。村上春樹さんは、路駐の車という小さな存在にまで、私たち読者が感情移入できる魔法をかけてくれるのです。