航路啓開隊〜掃海部隊を通じて海軍の伝統を切れ目なく受け継ぐ海上自衛隊の歴史〜 | 神奈川県議会議員 永井まさと オフィシャルブログ

航路啓開隊〜掃海部隊を通じて海軍の伝統を切れ目なく受け継ぐ海上自衛隊の歴史〜

先日、掃海関係者の集いに参加しました。この会では元掃海隊群司令である福本出氏を講師にお迎えし、海上自衛隊の血統や伝統の継承についての講演が行われました。もっともご本人は一番印象に残っている役職として元掃海艇「えのしま」艇長と自己紹介しておりました。私は掃海母艦うらが後援会会長として参加し、掃海部隊の応援団として、この大切な機会に参加できたことに感謝しています。

 

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海上自衛隊の血統と空白の7年間

海上自衛隊の発足は、一般的には1952年(海上警備隊の発足:1952年4月26日)とされていますが、福本氏の講演では、この時期の背景にある「空白の7年間(1945〜1952)」について重要な指摘がありました。海上自衛隊のルーツは本当に海上警備隊なのだろうかという問いから始まった講演会。実際には、終戦から1952年の正式発足までの7年間、掃海作業に従事していた多くの人々は、旧帝国海軍の軍人たちがそのまま任務に就いていたのです。したがって、この7年間は「空白」とされがちですが、実際には掃海を通じて旧海軍の伝統や技術が脈々と受け継がれていました。

 

航路啓開隊の役割もここで非常に重要です。終戦後、機雷処理は日本の再建において不可欠な作業でした。特に、関門海峡や瀬戸内海に敷設された55,000個以上の機雷(昭和 20 年 8 月の終戦時、我が国周辺には日本海軍が敷設した係維機雷55,000個及び米軍が敷設した感応機雷11,000個が残置されていました)を処理するという壮大な任務を担ったのが航路啓開隊であり、その多くが旧帝国海軍の人々でした。この時期に航路啓開で殉職した者が78名いました。この事実からも、軍事行動は旧海軍から途切れることなく続いていたと言えるのです。また、海上警備隊発足の1952年4月26日時点で海上警備隊の船隊が欠編成(所属の船がゼロ)という指摘から、4月26日を海上自衛隊発足の日として良いのかどうかという疑問点も浮かびました。少なくとも掃海部隊にとっては船がなければ活動できないわけで、福本氏の指摘は大変興味深いものでした。

Y委員会と海上自衛隊の再建

福本氏は、海上自衛隊の再建に向けた重要な節目として、1951年10月31日に発足した「Y委員会」についても触れました。この委員会は、海上自衛隊の基礎を築くための計画作りを担ったものですが、福本氏はその短期間での発足と海上警備隊の設立に関して興味深い指摘をされました。Y委員会発足からわずか半年後の1952年4月26日に海上警備隊が正式に発足しましたが、その間にすでに詳細な計画が進行していたことが考えられるというのです。

 

Y委員会は、海上自衛隊の再建における重要な一歩となりましたが、その基盤を作ったのは、戦後の掃海活動を通じて海軍の伝統を守り抜いた人々であるという点は見逃せません。このように、海上自衛隊は旧海軍の伝統を引き継ぎながら、次世代の防衛力としての役割を果たすべく発展してきたのです。

掃海部隊の今後と継承

福本氏の講演を通して、私たちは改めて、海上自衛隊の歴史とそのルーツである旧海軍の伝統がどのように受け継がれてきたかを学びました。掃海部隊の応援団として、これからもその歴史をしっかりと次世代に伝え、未来へとつなげていく責任を感じています。掃海部隊は水陸両用戦・機雷戦群として新たに生まれ変わろうとしていますが、海上自衛隊の発足以降も、航路啓開隊の精神や技術が受け継がれているということを、今後も広く伝えていきたいと思います。

 

 

 

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