2025年5月12日
ホノルルから日本行きのハワイアン航空便
空の上でこれを書いています
昨年から、スターリンクが空の上でも使える様になり
飛行機で移動しながら 高速通信が使え
前回の移動ではzoomミーティングをしながら
日本への移動が可能でした
(さすがに飛行機のなかで声は出せないので
みなさんの映像と声を聞きながらチャット参加でしたが・・)
これまでは「もう飛ぶから。。」と離陸前に通信は遮断し 移動時間中は音信不通というのが
常識だったのですが
あっという間に常識は塗り替えられてしまいました。
今回はウエサク満月のタイミングでフライトなのですが
今日は、2022年の出産ワークのあたりからずっと意識している
「十月十日サイクル」のXデーでもあります。
一つ前の投稿に載せた「虹の架け橋通信」の記事にも書きましたが
「あれから十月十日経ちました。そして今日身籠りました。十月十日後に生まれます」という
メッセージを受け取った2022年3月8日
そのあたりのこと、ここに書いたかどうかちゃんと覚えていないのですが
そもそもは「琵琶湖ものがたり」(2020年のグレートコンジャンクション)から始まっていたのだろうと思います。
パンデミックの年でしたね。
わたしにとってはこの年に、「蚕ノ社」を訪ねるように
というメッセージを受け取り、そこで「男女が背中あわせで立ってる(正確にはその状態で旋回しているのですが)」という
ヴィジョンを見ました。
ロックダウンのさなかでもあり、自由な旅がしにくい状態のなか
実際にそこへ訪ねることはできないけれど、
「いつかここに行き、これ(これは何らかの儀式のようなもので、重要なものな気がしていました)をする」ことは決まっている ことという明確な感覚がありました。
(この場所のことを知ったのは2020年1月15日・琵琶湖でのことでした)
ようやくロックダウンが解け、自粛モード最中でしたがハワイー日本間の飛行機の運行が再開されることになったとき
すぐにわたしは日本に戻りました。
そして、1月の琵琶湖でのインスピレーションをもとに「琵琶湖リトリート」を開催しました。
ここでのことはブログでも「琵琶湖ものがたり」というカテゴリーで書いていたと思います。
そして 琵琶湖のあと、蚕の社にも訪ねました。
興味深い場所で
三つの鳥居がひとくみになり三角形を描いています。
そしてその真ん中に水が湧いている・・
そのはずなのですが、その水は何年か前から枯れている、ということでした。
すぐ近くで生まれ育った方が、子供の頃はその水辺で水遊びをするのが大好きだったけれど
ひさしぶりに訪ねたら、水が枯れてしまっており、その風景をみて悲しかったという話をしてくださいました。
わたしは、それを聞いたとき
「そこに行かなくては」という感覚を受け取ったのです。
「背中合わせ」は「蚕ノ社」のヴィジョンとともに
始まりました。
わたしにとっても、2020年からの「背中あわせ」ワークは
オーラソーマの「セレス」から始まる「オレンジ三部作」(セレス・ペルセポネ・プルトンの3本連続で登場したオレンジのワーク)と 深い関係を持ちながら、翌年2021年
本格的にスタートしました。
世界はパンデミックで自粛モードでしたが
同時にわたしは この頃から、日本での旅を多くするようになりました。
2020年に予定されていた6回のマウイリトリートがすべてキャンセルとなり
渡航条件も厳しいなか、それまで10年以上毎年続けていたマウイリトリートをおやすみせざるを得ない数年が続いたことも、影響したことではあると思います。自然と日本国内での旅行やリトリートが増えてゆきました。
実は2019年にわたしは
「仙骨びらきを日本列島の55ヶ所で行いなさい」という啓示を受け取っていました。
そのとき「嵐の休止前コンサートでも全国50箇所なのに、それより多い😅」と思ったことを覚えています。
もともと電車や乗り物での移動が得意でないわたしにとって
マウイのナディア村を拠点にみなさんをお迎えできるマウイリトリートと違い
国内の未知の土地に遠征してお仕事をする
ということは あまりイメージが持てないこと(とても苦手で、ずっとしてこなかったこと)でもありました。
(2020年以降のわたししかご存知ない方がこれを読まれると驚かれるかもしれませんが、
この頃まで、わたしのお仕事拠点は 横浜・マウイ・例外として宮崎、この3拠点だけに限られていたのです)
※ わたしが苦手な乗り物は周囲の人に出入りがある乗り物です
乗り物のなかでも比較的大丈夫なのが 乗客の入れ替わりがない、もしくは少ない乗り物
たとえば 長距離バス・飛行機・指定席のある特急や新幹線など
・・なので、飛行機とリムジンバスで行けるマウイや宮崎は大丈夫なのです
(到着したあと、空港からは車で移動できることが前提)
こんな異様な体質を持つわたしにとっては 「全国55ヶ所」というのはほんとに実現不可能なミッションのように思えました。
いま思えば、思いもよらぬパンデミックによって さまざまな状況が変化し
わたしの「仙骨びらきジャパンツアー」が促されたのかもしれません。
つづく
(2020年1月15日 佐久奈度神社 大津)