「上野出張とさみしい深海魚②」
(①の続きです)
そんなわたしにとって
「上野で4日間」というのは
もう、不安でしかありません。
通常なら「選択肢外」です。却下です。
でも、初級・中級と進み、上級を修了するには
この対面研修は必須条件ということで、やむなく覚悟しました。
研修は朝9時から夕方17時半。
平日は行きも帰りもどう考えてもラッシュアワーです。
横浜から上野は「上野東京ラインで行けば乗り換えもなしで、34分」。「乗り換えしなくていい!」これはわたしにとってはせめてもの救い。
でも平日のラッシュアワーは回避必須です。
初めて行く場所(会場)に時間通りに辿り着ける自信はありません。
贅沢ですが、「前日入り」するしかないか・・・
でも土地勘のない土地でのホテル手配は難航しました。
(とにかく都内へは行かないから土地勘も無し)
そして、この数年のコロナ禍とは違い
噂通り 都内のホテルの価格は軒並み上がっています。
(アパホテルでもシングルの一番狭いお部屋の素泊まりで、週末料金は33000円とかでした)
道に迷う心配もないように、駅も通らなくていいように、会場から駅と反対方面に歩いて一番近いホテルを手配。
最初の2泊だけ、ホテルから通うことにしました。
前日にホテルにチェックインし、会場も確認しました。
そして講座が始まりました。
全国各地から9人の参加者の方。
講師の方は3人の、とても濃密なコースです。
上級コースではIFS(内的家族システム)のメソッドを
対人支援に取り入れるためのカウンセリングの手法の実践練習が繰り返されます。すでにオンラインで一緒に学んでいたメンバーでしたが、みなさん初めましての方ばかりでした。
セラピスト役、クライアント役を交代しながら
色々な人とワークを繰り返します。
それはわたしが「クライアント役」として
自分自身の内的パーツと対話する、というワークのときでした。
あるトラウマの場面が蘇りました。
幼稚園の園庭を入り口の門から見ている
幼稚園生のわたし
その風景を思い出したとたん
身体が硬直し、喉が詰まり
ものすごく 苦しさに襲われました
セラピストがパーツの記憶(?)と
わたし自身との対話をガイドしてくれます
(ここでは専門的なアプローチ法の紹介や
正確な表現にこだわらずに書きますね)
小さな自分は
「くるしい」「うるさい」「痛い」
と 言っていました。
(喉がしまるような感じなのであまり声も出せませんでしたが)
その体験のなかでも
自分自身の「セルフ」の感覚はあり
「こんなに苦しかったのか」「忘れていたよ ごめんね」
そんなふうに感じる自分もいました。
おそらく、もうすっかり忘れていた記憶のなかのわたしは
どんなに苦しかったのかを (いまのわたしに)わかってほしかったようです。
それがわかると、痛みや苦しさは引いていきました。
「どうしたい?」と聞くとその子は
「おうちに帰りたい」と言いました。
家に帰ると押し入れの中に閉じ籠りました。
「この世界はうるさすぎる!」という絶望感・・・
わたしはいまでも
「音」に過敏です。
家は必ず防音工事をしますし、
マウイの家を探すときも静けさはなによりの重要事項でした。
わたしにとって
幼稚園の子どもたちの歓声と
無秩序に動き回る子どもたちの動きは
刺激として強すぎたのだと思います。
それを「全身の痛み」として感じたのだろうと思います。
(ハイパーセンシティビティ:ロイヤルブルーの質)
音のしない世界に行きたい
と
押し入れの中で耳を塞いだその子は 言っていました。
トラウマを受けたその子に
イメージのなかで 行きたい場所でやりたいことをさせてあげます。
その子は 深海へ行きたいと言いました。
深い深い
海の底
音がしない
静かな世界。
どんどん海の底に沈んでいきます。
光もない、くらい、静かな世界は
まさにロイヤルブルーの世界。
そこにいくとその子は
とても元気になりました
暗闇のなかでクルンクルンと回転しはじめていました。
(あれ?人間じゃなくなっている??お魚??
練習ワークはそこで終わりました。
途中、全身で痛みと同一化したこともあり
終わってからも ぼ〜っとしていて
ひとりで静かに過ごしたく
途中で見つけた小料理屋さんのカウンター(お客さんは誰もいなかった)で静かにひとり夕食をとって
ホテルに戻って過ごしました。
翌朝はとても元気になっていました。
一緒に学ばせてもらった皆さんとのお話しも楽しいひとときですプロのカウンセラーさん、医療、教育関係などの分野ですでに対人支援をされている方がほとんどで、ペアでのワークを始め、休憩時間や一緒に行くランチや休憩時間も、学びやつながりが満たされる機会でもありました。
「深海魚ちゃんどうなった?」と声をかけてもらったりもしました。
自分でも「あの子はいまどんな感じかな」と思い出すようにしていましたが、イメージするたびに、深い海のそこで くるんくるんと回転しながら、楽しそうにしていました。
どんな音も届かない 静かな場所で とても安心して生き生きとしている。。。(そしてますます くるんくるん回転している・・→魚の泳ぎ方でもない謎の深海生物の様相)
自分の、「超感覚的な知覚を持った資質」に対して、
安全な場所を与えられたこのワークのおかげなのか
不思議なことに、後半は「ホテルに泊まらなくても、電車で通学できるような気がする」と思えるようになっていました。
翌日、ふとしたときに
深海魚ちゃんからメッセージを受け取った気がしました。
「わたしはここにずっといるよ。そしてここから
インスピレーションをあなたに送っているからね」
そんな感じです。
「幼稚園の小さな園庭で
子供達が走り回って遊んでいる風景と音」
そんな(悲劇でもなんでもないような)風景が、わたしにとっては、あんなに痛く、苦しいトラウマになっているとは
思っていなかった。
押し入れのなかでこの世界はうるさすぎる 痛い
と絶望していたあの子が
安全になって
生きやすい静かな場所で
静けさに守られている
そしてそこからわたしに
インスピレーションを送っている・・
わたしにとっては
それは とてもしっくりとくる 感覚だったのです。
つづく