親が離婚した時の話 | having nothing to do

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日々の出来事を思うままに。

ここのところXで共同親権の話題を目にすることがあって。

 

親が離婚している、自分自身も離婚している身としては

色々と考えこんでしまうことが多い。

 

私が11歳の時、両親が離婚した。

離婚の理由は、まぁ、性格の不一致になるのかな。

 

祖母が亡くなったことが転機になった。

母は外に働きに行くようになった。

それで少し世界が変わったんだと思う。

 

父方の親族は常に母に冷たかったし

DVまではいかずとも父は母に対して威圧的だった。

 

私の中にある父の記憶は常に仕事で不在。

土日となれば仲間と競馬や麻雀をしていて

私たちと関わることはほとんどなかった。

学校行事に来たこともない。

 

たまに家にいると箸の上げ下げとか細かいことで怒られた。

学校のことを話すとか、褒められたとかいう記憶もない。

(ものすごい小さい頃、よく旅行に連れて行ってくれたらしいけど

覚えてないんだよなぁ)

 

仕事して家族を養って、という意味では

父は自分の役割を果たしていたんだと思う。

当時の価値観で言えば、それで十分だったのかも。

 

離婚するまでの間の家の中は最悪だった。

常に父の親族が家にいて、父と一緒になって

母を責め立てていた。

母の泣いている姿を今でも覚えている。

 

離婚するなら身1つで出て行け、というのが父方の主張。

母は私と妹を連れて行きたかったから揉めに揉めた。

最終的にどこがどんな判断をしたのか分からないけど

両親は離婚し、私と妹は母と一緒に暮らすようになった。

 

養育費はもらっていたのか、もらっていなかったのか不明。

少なくとも私は父に会えないことを淋しいと思ってはいなかった。

自分の目で見たことや、母から聞かされていた話などから

父をひどい人だと思っていたしね。

 

ある日、父が突然、私たちが暮らす家に来た。

たくさんのお土産を持って。

嬉しいと思わなかった。

ろくに話もしないまま、父は帰っていったように記憶してる。

母はずっと泣いていた。

 

父と関わるようになったのは、両親が離婚して何年も経ってから。

きっかけは何だったか忘れてしまったけど父の家に行くようになった。

(母親が経済的に困窮したからだったような・・・)

 

一緒にバドミントンをしたり、ご飯を食べに行ったりして

少しずつわだかまりが溶けていったというか

初めて父とちゃんと関わったような感じだった。

 

もし、うちの両親が離婚した時に共同親権うんぬん

という話があったら、一体どうなっていたんだろう。

そんなことを考えた。

 

私自身の離婚の理由は、子どもに対する精神的な虐待なので

子どもの心と命を守るための離婚なのに

離婚後も子どもと関わる理由を与えかねないような

今回の話は、ちょっと怖いと思った。

 

虐待があったと認められなかったら

共同親権にされかねないわけでしょう?

 

見落としがないとは言い切れないし

そもそも相手にその自覚がなければ

虐待なんかなかった、と判定されかねない。

 

子どもがいくつの時に離婚するかにもよるけど

子供の意見も反映されるといいのにな・・・