【欅坂46】なぜ欅坂の世界観に惹かれるのか? | けやきって呼べない?〜私的欅坂46独白論〜

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欅坂46についてヲモッタ事、カンジタ事を脈略なく呟く独白ブログです

昨日で丁度このブログを始めて一か月となりました。

まだ一か月なんですけどね、ほんと始めたのがすごく前の様な気がしてます。

三日坊主にならずに続けてきたことを誰かに褒められたいですが、褒められないですね...まだ一か月です。

 

 

羅馬字欅です

こんばんわ♪

 

 

という事でずみこにパフされたいので、パフ画像を(笑

 

 

はい、気を取り直して二か月目に向けて新たな気持ちでという事で羅馬字的に何故欅坂の世界観に惹かれるのかを考えてみたいと思います。

まず、イメージ的に語られるのが“中二病的鬱屈”“大人たちへの反抗”みたいなものですが、実は言われるほどは多くいないと思います。

表題曲に選ばれるのはアンバーサリー的な時期、デビュー曲のサイマジョが16年4月、不協和音が17年4月、最新のガラスを割れが18年3月と一年ごとなんですよね。

17年はアルバムが入ったので数的には同数になりますが、パターンでいうと反抗心系1に対して、POP系は2の割合になります。

 

ただ、曲のインパクトとメディアの取り上げ方、POP系の曲もカップリング局のインパクトから欅ちゃん達のイメージが先に述べた通りになっていると思います。

 

勿論、いろんな世界観を持っている、引き出しが多いのが魅力の一つでもありますが、やはり一番に惹かれる部分は“中二病的”な部分です。

勿論、羅馬字はもうそんな事を言っているような年齢ではないのですが、周りの物分かりの良さにはついていけない居場所の無さをずっと持っている人間です(笑☞笑と言えるぐらいの余裕は出てきましたが)

 

独自の世界観をわかって欲しいというのはマイブームの元祖、羅馬字の師匠であるみうらじゅん氏から影響を受けてきましたが、それを根気よく心折れないで続けるというのは並大抵じゃないですよね。

もう羅馬字は心折れていますから、さすがに出来ないです。

 

欅ちゃん達はそれを“わかってもらおうなんて無理なんだよ”“物分かりのいいふりして、聞いてくれる奴は信用できないよ”“自分が自分らしく生きて行けばいいんだ”と言ってくれます。

 

まぁ、詞を書いているのは秋元さんだから彼女たちが言ってるわけではないんですけど、インタビューとか見ると欅ちゃん達(特にてっちゃん)にインスパイアされて書いているという事を言ってるので元の部分は彼女たちの言葉だと思います。

秋元さんがそれをくみ上げて歌詞にして、それを演者である欅ちゃん(もしくはてっちゃん)がまた新たに世界観を吹き込むという事である意味熟成されるので深みが増すのではないかと思っています(そこらへんが、他のグループとの違いかもしれません)。

 

つっちーが最初の頃、お前らの歌って尾崎豊みたいだなって言ってましたが、方向性は同じかもしれませんが中にある熱さみたいなのは全然違います。

尾崎の時にはいた物分かりのいい大人たち(卒業の歌詞に出てくる)は、欅ちゃんの歌の世界にはいません。

もっと言うなら、仲間たちもいません。

 

時代の違いといえばそれまでですが、現在の様に個々が分断している世の中では声を上げれば叩かれるだけなのです。

だから、声なんか上げないで自分は自分で生きて行けばいいと欅ちゃん達は歌います。

 

そう、それが自分がずっと持ち続けてきた集団の中での違和感だったのです。

だから、欅ちゃんにあった時にすっと入っていけたんじゃないかなと思います。