1/15(水)夜、ファビオ・ルイージの指揮によるN響第1773回定期公演(1月Bプロ定期初日)を聴きにサントリーホールへ。
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今や翔ぶ鳥落とす勢いの感があるルイージですが、私は実はルイージの演奏を聴くのは今回が初めて。
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今回の公演は、モーツァルト/ピアノ協奏曲第20番とブルックナー/交響曲第9番という、いずれも主調がニ短調の作品を配したプログラム。

前半のモーツァルトでソリストを務めたルドルフ・ブフビンダーの演奏には、これ迄にもN響の公演で、ウーヴェ・ムントとのシューマン/ピアノ協奏曲、準・メルクルとのR.シュトラウス/ブルレスケ、そしてブロムシュテットとのベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番「皇帝」等で接したことがあり、一見(一聴?)淡々としているようで内奥は実にニュアンス豊かな演奏に感銘を受けてきました(昨秋の東京でのウィーン・フィルとの弾き振りによるベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲演奏会も出来れば行きたかったのだけれど)。
今回もまた期待どおりの典雅な演奏でしたが、ルイージ&N響がまた、第1楽章冒頭のオーケストラのみの提示部に於ける弦のシンコペーションのリズムによる第1主題とそれを支えるホルンや木管のデュナーミクの変化、第2楽章主部の豊穣な歌等々、緻密かつ意味深い演奏でそれに応えていました。
アンコールでブフビンダーが採り上げたシューベルト/即興曲変ホ長調Op.90-2が、これまた繊細さと典雅さを湛えた水際だった美しい演奏でした。
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ブルックナーが最期の日迄筆を執り続けながらも遂に未完に終わってしまった交響曲第9番は、第5番・第7番・第8番と共にブルックナーの創作活動の頂点を成す作品であり、かつ私の心惹かれる交響曲の一つですが、ふと考えてみると、実演に接したのは2001年9月の大阪ザ・シンフォニーホールでの朝比奈隆&大阪フィルの特別公演以来です。
因みに朝比奈のブルックナー「第9」を聴いたのは、2000年のN響との名演と上述の大フィルとの2回ですが、後者では誰の眼にも明らかに体調に異変を来していて、第1楽章のコーダは崩壊寸前、よく最後の第3楽章迄演奏が続けられたと思いますが、果たしてその年の暮れに惜しまれつつ93歳で逝去してしまいました。

ルイージのブルックナーは世評は高いけれど、およそブルックナー演奏に係る世評程あてにならないものはないので、期待2割・不安8割の思いで臨みました。
実際に聴いてみた印象は…「思った程には悪くなかった」。
確かに素晴らしい所も多々あったのです…。
第1楽章提示部・再現部それぞれに於ける心の籠った美しい歌、ブルックナーのスケルツォ楽章の中でも独特の精妙さと寂寥感とを併せ持った第2楽章中間部、第3楽章冒頭&中間に於いて弦の短9度跳躍がもたらす異様な緊張感から次第に響きの厚みが増していきその内から壮麗な金管の旋律が浮かび上がっていく様の光々しさ、そして全曲を通して頻出するゲネラル・パウゼ(総休止)所謂「ブルックナー休止」の意味深さ等は、なかなか出会えないものだったと思います。
…しかしながら、よく考え抜かれた演奏だったとは云え、それが人為的・作為的にしか聴こえなかったのがいただけない気がしました。
暴力的と迄はいかないにせよ力づくの感が否めなかった第1楽章再現部の第1主題群や第2楽章主部のクライマックス等もそうですし、そして何より第3楽章後半に於ける急激なアッチェレランドは、ブルックナーの本質を損ねてしまっており、残念でなりませんでした。