日の塵:レース鳩 鳳凰編

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 穂田は「うちの会社に来ないか?」と誘ってくれた。嬉しかった。当時は西新橋にあった(隣は日立製作所で、その後はこちらと関係が深くなることになる)農業の新聞...ま、仮名で「アグリ新聞」と呼称することにしよう。この新聞社で主婦パートあがりの編集次長にいびられていたので物凄く嬉しかったのだ。

 偶然、その年に昭和天皇が崩御し、昭和は平成に代わった。

 そして...ってその影響じゃないけどさ、おいらはアグリ新聞の編集長を近くの喫茶店に呼び出して「辞めます」と言った。長野県出身で“いっぱしのジャーナリスト”だと勘違いしていた人の良い編集長(50歳くらいだったかな? )は「辞めても生活できるのか?」と本気で心配してくれた。オレはここぞとばかりに胸を張って「編集次長に駄目だって言われる僕なんかでも、ちゃんと...立派に、手招きして、左うちわで...ん? ま、いいや、そう、採用してくれる会社があるんですよ」と皮肉を言った。当時は主婦編集次長にいびられていたのをよほど頭に来ていたんだろうな。なにをどういじめられたのか? うーん...もう忘却しちゃった。嫌なことって覚えてるもんだけどね。きっと、年とってボケてきたんだな。

 辞めると言ったら急に精神的にも肉体的にも楽になった。オレは当時、入社したばかりの新人記者見習い照井くんと、熊本出身で作家志望の橋本くんと、新聞を官公庁に配達する若者...小島くんと、インド人ぽい顔をした若い女性記者...名前忘れた...彼ら彼女らと一緒に皇居まで天皇崩御見物に向かった。このときの当時の写真が最近まで残っていたのだが...破産して売ってしまったマンションから今の賃貸アパートに引っ越す時に紛失してしまったようだ。残念!
  
 数日経って...オレは穂田の誘われるままに...湯島にある家電業界の雑誌社へ面接に向かった。 そしてあれよあれよ・・・という間にオレはアグリ新聞を辞め、家電ジャーナル社に入社したのだった。
  
 家電ジャーナル社は、元々街の電気屋さんの新聞を編集していた会社で、それが軌道に乗ると、それから次々に家電業界の雑誌や電話局や電話工事業者のための雑誌を創刊し、同時に電気工事士のための試験本なども発行し始めて業態を拡大していた。
 
 穂田は家電ジャーナル社の“セールス・テクニカル”っていう電気屋さん向けの雑誌編集部に席を置いていた。オレはセールス・テクニカルの姉妹誌であった家電量販向けの“ホームエレ・ビジネス”編集部に配属されることになっていた。
 
 おっと、ここではこのときのことに触れていては先に進まないので、さっさと片付けなくちゃ・・・。とにかくそこで3ヶ月働いた。記者兼営業であったが、どっちかというと営業であったのだ。やっぱり広告営業なのだな。
 
 営業の相手は大手家電メーカーで、オレは手始めにアイロンの記事執筆と営業を担当した。 ま、広告も3社から取ってきたし、文章もわりとうまくいった(らしい・・・)ので、当時の編集長であった辻本さんはオレを気に入ってくれた。ところがどっこいそんなとき・・・である。「いいんじゃないのおお」の、あのレース鳩おじさんから穂田に電話がかかってきたのだよ。