園児に政治的イデオロギーを吹き込むことは断じて許されない。
教育方針とは別にして、教育の上では政治的中立は絶対です。
上半分(森友学園の方)は良いが、下半分の2枚(アベ政治を許さない)はケシカラン、というのはおかしな感覚。
両方とも許せない、これが一番大人として真っ当な感想だと思います。
今、下半分写真2枚側の政治的イデオロギーを持つ方が国会を空転させて公共の電波を政権批判一色に染めているようですが、そちら側が自分らのやってきたことは棚に上げて上半分側の写真のような森友学園の教育ばかり批判するのは卑怯千万ですけど、だからと言って子供に行き過ぎたイデオロギー吹き込みについて、真っ当なんだから何が悪い?という「愛国無罪」は通用しません。
※リンク先文章を抽出編集させて頂いたので文責者には申し訳ないことなのですが、ブックレビュー、つまりは本の紹介が本旨であるため粗筋・内容に関わる部分を削ぎ落とすことで論旨が多分に持論に近くなったものですから、それを投稿させて頂きました。申し訳ありません。
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1960、1970年代には若者のバックパッカーが結構いて、旅するスタイルってものがあった。
でも、今は半分引きこもって、自分の身の丈のテリトリーから出ない人が多い。
だから今の若者に旅をさせるってことにリアリティがない。
たった1人で捨て身で旅するような若者が今はいない。
ゲームにのめり込んでいてオタクっぽい。
影の薄い草食系男子が1つの時代の典型。
日本の若者の共通項だけど、父性というものを受け取れていない、父性喪失が彼らの中にある。
バトルゲームでどんどんパワーアップして、相手を打ち負かす快感の根底にあるのは父性喪失。
マッチョ志向なんかも実はその裏返し。
女性に対し包容力を持って接することができない、女性恐怖症的な姿も今の青年の1つの姿。
父性を獲得していない面がそこにも出ている。
今の若い人の旅は情報を追体験する旅。
事前にネットで情報をためて、この角を曲がればあの店があるとすでに知っている。追体験の旅ってのは自分を壊さない。
今の若者の旅は情報でガードした憶病な壊さない旅。
だから何かに出合う感動や動揺がない。
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今日本人が、日本全体が、父性というものを失っているけど、父性というものを見直してほしい。
これは戦争経験が大きい。
わずか70数年前に戦争というもろに力の世界で何百万人が殺された。
戦争は父性を肥大化させた世界。
父性と父性がぶつかり合った戦争は何も生まず、ただ父性に対する拒絶反応、トラウマを生んだ。
父性は決して悪いものじゃないのに、日常生活の隅々に父性否定みたいな感覚が浸透してる。父性の厳格さや強さよりも優しさを求める。
優しさもいいことではあるけど、いざ何かが起きたとき、自然災害も含めた乱世には、どこかでコントロールする人が必要になる。
エマージェンシーは平和な世でもどこにでも起きるわけだ。
父性に対する拒絶感じゃなく、もう少しニュートラルな目で見つめる必要があると思う。


