【『頑張ろう』 という“言葉の刃物”】:非被災地の方々へ考えて欲しいこと。 | なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

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↑以前、私もブログで記していたことを  

  思い出しました...。


『頑張れ』 という一言は、

“言葉の刃物”に豹変する

ことがあります



以下、私の読者様の投稿を

抜粋転記いたします。


被災地の当事者の

生の声です。


これでも貴方は迂闊(うかつ)に

『頑張れ』 と言えますか?


―――――――――――――――


頑張ろう、頑張ろうって言うけど、

家が流されたんだよ?

と、福島の兄に電話したら、言われました。



おまえ、ちゃんと分かってるの?

超つらいとき、

「とりあえず帰りたい、もう帰りたい」っていう、

あの帰る家がね、全部流されたんだよ。

俺、もう、家ないの。

明日も頑張ろう!って

決意するような場所がね、ないわけ。

今日も疲れた―!って

ドア開けてホッとするような所がね、

全員、一瞬にして、心の準備もなく、

いきなり11日から消えたわけ。

おまえ、家ないのに頑張れる?

服も漫画も、化粧道具も、アルバムも、

大事にしてたもんも、全部いっきに無い。

よし、頑張ろう!って思える?



すげぇ言われてるんだけど、

CMとかで、頑張れ頑張れとか。

ちょっと気を許すと、

「一緒に頑張ろう!1人じゃない!」とか言うわけ。

いや、おまえら家あるじゃん?

そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。

仕事もあるじゃんって。

おれ、船、なくなったんだぞって。

多分、漁師はもうできないと思ってる。

もう、なーーーんもない。

どう考えたら、今、頑張れるんだよ。

ちょっとでも頑張れる何かが、

今、俺たちにあるのか?

「いや、今はこっちで頑張るから、

おまえらは1年ハワイでゆっくりしてきな」

とか言われたい。

「おまえらが帰ってくるまでに

片づけとくから。家も建てとくから」

とか言われたい。


そしたら、俺だって頑張るよ。



毎晩、うなされるし、夜いつまでも眠れない。

流された人を何人も見た。

顔見知りも流された。

その頭にある映像を何回も思い出す。

そのたび、津波がこうくるって分かってたら、

あの人を助けられたかも、とか。

時間が戻せたら、隣のおばあちゃんちに

寄ってあげたかった、とか。

1人でも助けて英雄みたくなったら、

まだやる気が起きたかな、とか。

俺、1人で逃げてきたわけ。

誰も助けなかった。

おばちゃんとか、何人も追い抜いて逃げた。

重そうなもの持ってる人とかもいたのに。

もう100万回くらい、100通りくらい後悔している。



4日目にやっと町に行っていいと言われて、

どっから手をつけていいかわからないどころか、

いっそもう何もしたくなくなるような町

だった場所を見て、

ここを復興だなんて、微塵も思えない。今も。

蓋をしたい。見たくない。

町を見ると、死にたくなる。

自分の人生は、もう終わったなって思うよ。

こっからは、もう、

どう頑張っても金持ちにもなれないだろうし、

家だって、もう、二度と持てる気がしない。

何も希望なんかないよ。



そんな俺たちがさ、避難所で、

CMでアイドルや俳優を見てさ、

「一緒だよ、1人じゃない」とか言われるたびに、

ああ、あの世界は自分たちとは、

もう全然違ってしまったんだと思う。

家がある人の言葉だなーと。安定してるなーと。

そんなCMとかして充実もしてんだろうなーと。

家が流されてなくてさ、

帰る場所があって、仕事があって、
地に足が付いてる人が、


すげぇ神妙な顔で、お洒落な服で、

こっち見て何か言ってるな、と。

おまえに言われたくないと。


ほんとに。何も言わないでほしい。

大丈夫なわけがない。

おまえらに大丈夫だよ、とか言われても、

大丈夫なわけがない。

どう見たら、この状況が大丈夫になるのか、

胸倉つかんで聞いてやりたい。

でも、怒る元気もない。やる気もない。



ボランティアや取材のやつらも来て、

色々写真とか撮って、

「実際みると、テレビとかとは全然違いますね」

とか言ってて、

数日たったら「元気出して頑張って!」

とか言って、

自分たちの家に帰っていく。

正直、復興なんてクソ喰らえだと思うよ。



「何か、できることある?」

何を言っていいかわかんなくなって、

兄に泣きながら聞いたら、

「正直、不幸になってくれたら嬉しい」

と言われた。

「俺たちを幸せになんてふざけたこと

 思わないで、 俺たちの分、そっちも

 みんな不幸になってくれたらなー」

と言われた。

「俺たちを想って歌とか作られても

 今は不愉快だから、
 東京も全部流されて、それでも

 「頑張ろう」って言われたら、

 頑張るよ。その人の歌なら聴く。

 知らないやつに、馬鹿みたいに

 「頑張って」とか「大丈夫」とか言われると、

 今は正直、消えてほしくなるよ。

 募金は嬉しいよ。

 で、ボランティアじゃなくて、

 ビジネスで、仕事として、

 町を復興に来てくれた方が、

 こっちも気兼ねなく色々頼めて気が楽。

 正直、ボランティアに「ありがとう」とか

 言うのも苦痛。」

と。

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こう考えている方も、いらっしゃいます。


非被災地に居る者にとって、
現地の一部分だけを見て、

この震災の全てを

わかった気になったり、
被災者の方のことを

わかった気になったり、
そんな気持ちになってはいけない、

そう、強く思いました。


でも、

少しでも救われる人がいるのであれば、

行動そのものに、意味があると

思っています。

今、すぐ手を差し伸べられないと

下を向くより、

今、置かれた環境を生き抜くことで

力になれると思っています。

その気持ちは揺るぎません。
その行動は継続していきたい

と思います。


被災地に頑張らせてはいけない。

頑張れる人が頑張ればいい。


そして、迂闊に励ましてはいけない。

ただ、現実は真摯に受け止め

忘れ去ってはならない。


被災者様の心情を深く理解し

今、出来ることを探し行い、

皆様が前向きになれる用意を

怠らないことが大切でしょう。


各々で、心に刻みましょう。