1997年のラオス | 毛玉とか旅とか

毛玉とか旅とか

人生は毛玉とともに。

初めてラオスという国を意識したのは、タイへ向かう際の機内誌に掲載されていたパークウー洞窟の写真を見たときでした。

見た瞬間、何とも言い難い感覚に襲われ、「とにかくここへ行く」と心に決めました。

それから半年後、旧正月の休みを利用し(香港留学時代でした)、日本にいる妹とバンコクで待ち合わせをし、ノンカイ経由でビエンチャンに入りました。

当時は1週間しかビザがもらえなかったため、駆け足の旅でした走る

首都という言葉から想像される光景からは程遠いビエンチャン。
通行人は静かに道の端を歩き、旧型の車が時折走っているのみでした。

まずはビエンチャンで二泊し、ルアンプラバンに飛行機で移動しました。
バス便という選択肢もあったのですが、当時は山賊が出ることが多く、私たちが到着した前日にもバスが襲われたという話を聞いたので、高価ではありましたが飛行機にしました、あせる

首都ですら「静か」としか形容しようのない状態でしたので、ルアンプラバンなどは更に静まり返っていて、今まで歩いてきたアジアとの違いを痛感しました。

目的地であるパークウー洞窟はルアンプラバンから船で移動小舟

$毛玉とか旅とか

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到着した時、これが見たくてここに来たんだと思い、とても感慨深かったです。

今はビエンチャンは言うに及ばず、ルアンプラバンも相当な数の旅行者が訪れるようになり、様変わりしました。

食堂の営業時間も短く、本気で食いはぐれたこともあります。
交通機関も今より更に不便極まりなく、快適とは言えない当時のラオスですが、静寂を味わえるあの時代に行ってよかったと今でも思っています。

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