スフィーダに出会うまで | 永田真耶オフィシャルブログ

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スフィーダ世田谷FC#11永田真耶


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だいぶ長くなりますが、私のサッカー人生を勝手に振り返させてくださいニコニコ

何回かに分けての投稿になると思いますガーン

最後のブログ、お付き合いくださいニヤリ

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私は兄の影響でサッカーを始めましたサッカー
大っ嫌いだったサッカー、毎日雷なれ〜と雷思っていました滝汗
当時は男の子の中に1人。
女の子がサッカーをやるの?
っという時代だったので、1人はみ出したことをやっているようで胸を張ってサッカーをしています!と言うことができませんでしたチーン

そして、女子チームと出会いました。
そこからは、憧れの先輩を目標に憧れの先輩に褒められたくて、毎日、日が暮れるまでボールを蹴って、遊び?というよりは向上する為の時間を過ごしましたプンプン高学年になり、全てで1番でいたい。
プライドができ、そこから負けず嫌い精神が強くなって行ったように思います。


小学6年生になり、冬ごろから当時の宝塚バニーズというLリーグのチームの下部組織に練習生として参加するようになりました。ジュニアユース、サテライト、トップというカテゴリーがありました。当時女子サッカーの第1バブル期であり、大きな企業がつき活動している強豪チームでした。
そこには、プロフェッショナルな選手ばかりで、衝撃を受けました。
かっこいい…
と、同時にジュニアユースとサテライトが一緒にトレーニングをする事があったのですが、大人のプロフェッショナルな人の中に小学生…
いろんな部分での厳しさを知りました。

当時から、自分に自信がなかった私…
ここではできない…と思いました。

そんな時、飛び級でU-15兵庫県選抜に呼ばれ、兵庫県選抜を統括していた三木ドリームズというチームに登録して大会に参加しました。

その後、そのまま三木ドリームズでお世話になりました。
私の実家からは電車で1時間半。グラウンド最寄駅からグラウンドまでの時間を含めると約2時間。
平日のトレーニングを終え家に戻ると23時半頃だったのを覚えています。
それよりも、駅まで迎えに来てくれるチームの監督やお姉さん、土日は交通費がかかるでしょ?大変でしょ?とお泊まりをさせてくれるチームメイトや監督家族。土日は三木まで送り迎えをしてくれる両親。練習を終えると早く帰らないといけないので、みんなとの時間が少なかった私を面談だと言って自宅まで送ってくれる監督。
みんなの協力があり私はサッカーをする事ができていました。

三木ドリームズではサッカー選手としての大事な事を全て教えてもらいました。
サッカーの部分、サッカー選手としてどうあるべきか。当時から、外部講師を呼んでメンタルセミナーやチームの団結の仕方などたくさんのことを学ばせてもらいました。時代が流れてもその時学んだ事は変わらず私の中にあり続けています。
本気でわたしを叱ってくれる監督。今でもたまに会いますが、わたしの恩師の1人です。

そして、神奈川大学への進学。
すごく思い切った決断でしたが、サッカー選手として関東のレベルを経験した方が良いと言われ、兵庫県選抜で一緒だった元湯郷ベルのミキティを追い神奈川大学へ加入しました。
経験した事のない上下関係…やめよう。なんて考える暇もないぐらい必死でした。
以前もブログで触れましたが、スポーツ推薦での入学者で1番大きな数字の番号をもらいました…そこから、私の負けず嫌い精神に火がつき、1年生からレギュラーとし4年生まで試合に出続ける事ができました。また、1年生から学年責任者として、そして、4年生ではキャプテンとし、サッカー選手として人として大きく成長をしたと思っています。
4年生では皇后杯でもインカレでもカンカレでも当時の記録を超える結果を得ることができました。キャプテンとして望んだシーズン、キャプテンとしての言葉を説得力のあるものとする為に、走りのトレーニングでは意地でも1番でいる事を目標とし、1年間常に1番でいた事、常に1番でい続けなくてはいなくとてつもないプレッシャーだった事を覚えておます。そして、カンカレで優勝して私がチームにかけた言葉「全勝優勝できなかった。私達の目標は日本一。喜んでいる場合ではない」でした。みんながざわざわふわふわと喜んでいる中、みんなと同じ様にしたくても、結果を得るために心を鬼にして言ったことを今でも覚えています。
でも、4年間目標としていた大学日本一には一歩届くことができませんでした。2位…でも、チームメイトも自分自身も100%でサッカーと向き合い戦った結果だったので、なんだか、2位でも素直に喜ぶ事ができたように思います。全員が本気でサッカーと向き合うとこんな風にみんなで認め合えるんだ…と学びました。
そして、まだまだ子供な私を思い切って関東に出してくれた両親。金銭的にも簡単なことではなかったと思いますが、何一つ嫌な顔をせずに送る出してくれた両親に感謝しかありません。


大学卒業後、一度サッカーから離れましたが、やはり、サッカーがしたいと思い。
リーグ開幕直前の中、エルフェン狭山のトレーニング会場に行き、監督に話、練習参加させていただく事となり、数日後加入を認めてもらう事ができました!

この1年は屈辱的な1年でした。
スタメン出場は1度。あとは途中出場が数試合でした。自分のプレーを忘れてしまうそんなシーズンでした。それでも、チームメイトは私に”サッカー”を教えてくれました。試合の日メンバー外になれば、ホームのグラウンドに早く行き自らフィジカルトレーニングをしその後設営の手伝い、メンバーに入っても時間が短ければ終わった後フィジカルトレーニング。それは先輩選手の背中を見て学びました。誰かがやりなさい。そう言ったわけではありませんでした。
スフィーダでは試合に出続けさせてもらったので、試合に出れない人の気持ちがわからない。と思われがちかもしれませんが、ここでの経験は私をさらに強くしあるべき姿を明確にしてくれたと思っています。
シーズン終了と共に退団を決意しました。
試合に出れなくては意味がない。ただ、その一心でした。


そんな中、私が出会ったのがスフィーダ世田谷でした。


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今日はここまで、また更新します!笑

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