永田真耶オフィシャルブログ

スフィーダ世田谷FC#11永田真耶

2017シーズンは終了いたしました。
たくさんのご声援誠にありがとうございました。

テーマ:

更新が大変遅くなりました。
お待ちいただいた方がいらっしゃったらごめんなさい🙏

1月いっぱいスフィーダでの勤務もあるのでなんだかまだ長いオフの気分で…と、それもありますが、書きたい気持ちになるまで待とう…と思っていました。その方がしっかりした文を思い残さずに書けると思ったからです。
そろそろタイムリミットだと思うので、渋々更新しますニヒヒ

こんなブログをこれまで見ていただいたみなさま本当にありがとうございました!


あ、2月号の100%スフィーダにも出演させてもらいます。そちらの方が伝わりやすいと思いますので、合わせてそちらもご覧になってくださいね🙇

さてと、これが7年間続いたブログの最後となります滝汗
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わたしがスフィーダに出会ったのは8年前、大学を卒業した時でした。

そんな、わたしでしたが、1部リーグで思うように出場ができず、再びスフィーダ世田谷の門を叩かせていただきました。
監督によく言われます、今あの時の状態だったら絶対加入できてないよ?と。笑

外部から大人の選手が加入するのは初めてだったようですが、チームは全力で私をサポートしてくれました。
しかも、まだなでしこジャパンが世界一になる前でしたので女子サッカーの知名度も低いものでした。
今思うと、少しおかしな話ですが、監督がバイトの面接について来てくれました。2人でスーツを着て…笑。とても感謝しています。
そこから、女子サッカーの環境が変化して仕事もさまざまな業種の物をしました。今のように仕事を選ぶこともできないので、少しでもサッカーに集中できる環境があれば転職という形でした。仕事面は中々大変だったと振り返っています。
サッカーを理解してくれる職場もあれば、全く理解されず、「給与はでないんでしょ?じゃぁサッカーはボランティアでやってるの?」なんて、なでしこジャパンが世界一になった後も言われる事がありました。
女子サッカーが文化になり、社会に認められるのは簡単ではないと改めて実感しました。

初の外部からの大人の入団選手という事で、クラブも手探りのなかではあったと思もいますが、そのお陰でチームのあたたかさを直接的に感じる事ができました。チームで働かないかと言う話があった時はすごく嬉しく思った事を覚えています。

入団し感じた事は"青い血"が入っていない事でした。スフィーダっ子や川邊チルドレンという俗語があるように、まだ若かった私は劣等感を強く感じていました。でも、今振り返れば、だからこそ、スフィーダの人間だと認めてもらいたくて、チームの為になんでもしようと思ったのだと思います。自分で言うのもなんですが、その点には力を入れてきたつもりでした。それがあったからここまで頑張ってこれたと思うので、最終的には私にプラスに働いたように思っています。

そこからたくさんの経験をさせていただきました。


長くなる為、割愛…笑


同じ世代の選手が退団する中、続けた人しか見れない景色を見たい!と思い続けてきました。30歳までサッカーをする予定はありませんでした。笑。昇格したら辞める。と決めていたのですが、叶わずまま終わってしまいました。
チームは若返る一方で、育ってきた時代や環境が違う為、戸惑う事も多くありました。忘れてはいけない事と変えなくてはいけない所。何年もかけてやっと整理できたのがつい最近だったように思います。

私は24歳ぐらいからスフィーダで最年長をしてきました。
どちらかというと、先輩を頼って生きてきたタイプなので違和感と手探りの中で最年長をしてきました。それは、プレッシャーとの戦いでした。

多くの人の応援を直接感じ、胸を張って応援してください!

という為にも、チームメイトに厳しい事をたくさん言ってきました。勝つ為に、その選手が「まやさんクソ〜」と思って奮闘してくれるように。
言うだけ、やらなきゃいけないですし、言うことはまあ、ストレスでした。そんなプレッシャーで練習に行きたくないなーなんて思う日も少しですがありました。
それでも、プライドもありますし、強く振舞うことで自分を成り立たせていました。
たぶん、私はすごく弱い人間なので、強くなる為に、強く見せる為に、頑張ってきたんだと思います。

スフィーダに加入し驚くほど上達したと自負しています!笑
監督に感謝しています!
サッカーをわかってきた、という感覚も持てましたし、自分を知り大崩れせずプレーできるようになったので、試合でもなんの恐怖心や緊張もなくプレーする事ができました!年齢を重ねる度にサッカーが楽しくなりました!監督ありがとうございます!


引退が決まりみんなからメッセージをもらいました。
そこには、
「厳しい事を言ってくれありがとうございました」
「言葉でも引っ張ってくれてありがとうございました」
「かっこいいサッカー選手でした」
「まやさんみたいに愛される選手になりたいです」

と、涙がでるぐらい嬉しい言葉ありました。
私が伝えたかった事がみんなに少し伝わっていたのを感じる事ができて、伝えてきて良かったなぁ。

と思いました。



最後に私がスフィーダを退団する理由です。

何が理由という事はありません。
体も動きました。サッカーも楽しかった。
最後のシーズンサイドバックでのプレーがほとんどでしたが、得点をする快感も蘇りました。

年齢的な事の不安。一般女子が経験できないことを経験させてもらいましたが、一般女子が経験している事を経験できていない事への不安。セカンドキャリアの不安。
また、自分が求めている自分になれているかの不安。チームにとって必要であるかの不安。若い選手に託すべきタイミングはいつかという苦悩。7年間最年長としピッチに立ち続け昇格をさせる事が出来ていないという苦悩と責任。チームをどう引っ張ればいいのかという苦悩。自分の形が正しいのかという苦悩。

そんな、いろんな不安や苦悩があり引退を決断しました。

求めていた、環境へ大きく変化する中。それを選手として感じる事が出来ず本当に残念ですが、土台をつくる人も絶対に必要なので貴重な役割を果たしたんだと思っています。笑


きっと、私の限界はここで、最大限のところがここだったのだと思います。


本当に多くの方々にメッセージをいただき感謝しております。

スポンサーの皆様には仕事柄お会いすることが多く、直接パワーをもらう事ができ、恩返しがしたい。その一心でした。昔から変わらず応援いただき、また、新しい力となっていただき本当に感謝しております。これからもスフィーダをよろしくお願いします!

私はスフィーダのファン、サポーターの方々が大好きです。スフィーダらしさはそこにもあると感じています。どんな時も、励まし、共に戦ってくれた事。私を気遣ってくれた事。
1度でも足を運び、声を出して応援して下さった皆様にも心からありがとうございますを伝えたいです!
頑張って!応援してます!の一言って選手にとってすごく大切な言葉で、その一言で本当に力をもらいます。へこたれてる選手がいたらそんな一言をかけてあげて下さい!よろしくお願いします!
私にとってスフィーダのサポーターは最高のサポーターです!

そして、下部組織のみんなにも本当に感謝しています。いつも、私達のサポートをありがとう!昇格という形でかっこいい姿を見せることはできませんでしたが、みんなのおかげで最高の舞台でプレーする事ができました。ありがとう!

そして、スフィーダスタッフの皆様にも大変お世話になりました。私にとってかけがいのない場所を作っていただいた事に感謝しております!
特に、監督、山田コーチ、ひろしコーチには長くお世話になりました。
監督は私の母のような存在です。(父ではありません。笑)私の事をよく理解してくれていました。デスクが少しでも荒れるとよく注意されました。母です。笑
山田コーチは私にとって1番上の兄といった感じでした。私がやばそうな時にぼそっと声をかけてくれます。笑
ひろしコーチは私にとっての2番目の兄といった感じでした。面倒見が良くて、なんでも聞いてくれて、なんでも知っててなんでもやってくれる。私を甘やかしてくれました。笑
3人は私にとって家族のような存在です!
かけがえのない時間を本当にありがとうございました!

そして、やはり最後に1番感謝すべきは両親です。
長い間最高サポートを本当にありがとう!



これからも、私はスフィーダ世田谷を応援します!
みなさま、スフィーダ世田谷をよろしくお願いします!


長い間、ありがとうございました!


スフィーダだったから輝く事ができました。
スフィーダに出会えて本当に良かったです。

やっぱり、ユニフォーム姿が1番ですね!
でわ、永田ユニフォーム集でお別れです↓笑

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p.s
今後はsnsで永田を見守って下さい!


テーマ:
だいぶ長くなりますが、私のサッカー人生を勝手に振り返させてくださいニコニコ

何回かに分けての投稿になると思いますガーン

最後のブログ、お付き合いくださいニヤリ

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私は兄の影響でサッカーを始めましたサッカー
大っ嫌いだったサッカー、毎日雷なれ〜と雷思っていました滝汗
当時は男の子の中に1人。
女の子がサッカーをやるの?
っという時代だったので、1人はみ出したことをやっているようで胸を張ってサッカーをしています!と言うことができませんでしたチーン

そして、女子チームと出会いました。
そこからは、憧れの先輩を目標に憧れの先輩に褒められたくて、毎日、日が暮れるまでボールを蹴って、遊び?というよりは向上する為の時間を過ごしましたプンプン高学年になり、全てで1番でいたい。
プライドができ、そこから負けず嫌い精神が強くなって行ったように思います。


小学6年生になり、冬ごろから当時の宝塚バニーズというLリーグのチームの下部組織に練習生として参加するようになりました。ジュニアユース、サテライト、トップというカテゴリーがありました。当時女子サッカーの第1バブル期であり、大きな企業がつき活動している強豪チームでした。
そこには、プロフェッショナルな選手ばかりで、衝撃を受けました。
かっこいい…
と、同時にジュニアユースとサテライトが一緒にトレーニングをする事があったのですが、大人のプロフェッショナルな人の中に小学生…
いろんな部分での厳しさを知りました。

当時から、自分に自信がなかった私…
ここではできない…と思いました。

そんな時、飛び級でU-15兵庫県選抜に呼ばれ、兵庫県選抜を統括していた三木ドリームズというチームに登録して大会に参加しました。

その後、そのまま三木ドリームズでお世話になりました。
私の実家からは電車で1時間半。グラウンド最寄駅からグラウンドまでの時間を含めると約2時間。
平日のトレーニングを終え家に戻ると23時半頃だったのを覚えています。
それよりも、駅まで迎えに来てくれるチームの監督やお姉さん、土日は交通費がかかるでしょ?大変でしょ?とお泊まりをさせてくれるチームメイトや監督家族。土日は三木まで送り迎えをしてくれる両親。練習を終えると早く帰らないといけないので、みんなとの時間が少なかった私を面談だと言って自宅まで送ってくれる監督。
みんなの協力があり私はサッカーをする事ができていました。

三木ドリームズではサッカー選手としての大事な事を全て教えてもらいました。
サッカーの部分、サッカー選手としてどうあるべきか。当時から、外部講師を呼んでメンタルセミナーやチームの団結の仕方などたくさんのことを学ばせてもらいました。時代が流れてもその時学んだ事は変わらず私の中にあり続けています。
本気でわたしを叱ってくれる監督。今でもたまに会いますが、わたしの恩師の1人です。

そして、神奈川大学への進学。
すごく思い切った決断でしたが、サッカー選手として関東のレベルを経験した方が良いと言われ、兵庫県選抜で一緒だった元湯郷ベルのミキティを追い神奈川大学へ加入しました。
経験した事のない上下関係…やめよう。なんて考える暇もないぐらい必死でした。
以前もブログで触れましたが、スポーツ推薦での入学者で1番大きな数字の番号をもらいました…そこから、私の負けず嫌い精神に火がつき、1年生からレギュラーとし4年生まで試合に出続ける事ができました。また、1年生から学年責任者として、そして、4年生ではキャプテンとし、サッカー選手として人として大きく成長をしたと思っています。
4年生では皇后杯でもインカレでもカンカレでも当時の記録を超える結果を得ることができました。キャプテンとして望んだシーズン、キャプテンとしての言葉を説得力のあるものとする為に、走りのトレーニングでは意地でも1番でいる事を目標とし、1年間常に1番でいた事、常に1番でい続けなくてはいなくとてつもないプレッシャーだった事を覚えておます。そして、カンカレで優勝して私がチームにかけた言葉「全勝優勝できなかった。私達の目標は日本一。喜んでいる場合ではない」でした。みんながざわざわふわふわと喜んでいる中、みんなと同じ様にしたくても、結果を得るために心を鬼にして言ったことを今でも覚えています。
でも、4年間目標としていた大学日本一には一歩届くことができませんでした。2位…でも、チームメイトも自分自身も100%でサッカーと向き合い戦った結果だったので、なんだか、2位でも素直に喜ぶ事ができたように思います。全員が本気でサッカーと向き合うとこんな風にみんなで認め合えるんだ…と学びました。
そして、まだまだ子供な私を思い切って関東に出してくれた両親。金銭的にも簡単なことではなかったと思いますが、何一つ嫌な顔をせずに送る出してくれた両親に感謝しかありません。


大学卒業後、一度サッカーから離れましたが、やはり、サッカーがしたいと思い。
リーグ開幕直前の中、エルフェン狭山のトレーニング会場に行き、監督に話、練習参加させていただく事となり、数日後加入を認めてもらう事ができました!

この1年は屈辱的な1年でした。
スタメン出場は1度。あとは途中出場が数試合でした。自分のプレーを忘れてしまうそんなシーズンでした。それでも、チームメイトは私に”サッカー”を教えてくれました。試合の日メンバー外になれば、ホームのグラウンドに早く行き自らフィジカルトレーニングをしその後設営の手伝い、メンバーに入っても時間が短ければ終わった後フィジカルトレーニング。それは先輩選手の背中を見て学びました。誰かがやりなさい。そう言ったわけではありませんでした。
スフィーダでは試合に出続けさせてもらったので、試合に出れない人の気持ちがわからない。と思われがちかもしれませんが、ここでの経験は私をさらに強くしあるべき姿を明確にしてくれたと思っています。
シーズン終了と共に退団を決意しました。
試合に出れなくては意味がない。ただ、その一心でした。


そんな中、私が出会ったのがスフィーダ世田谷でした。


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今日はここまで、また更新します!笑


テーマ:
お花の美しさを心から感じられる30歳になりましたガーベラ

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ありがとうございましたニコニコ



先日、伊藤ハム様より

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大量の差し入れを頂きましたポーン

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みんな、本当に大喜びおねがい

私も大喜びおねがい

冷蔵庫の中が幸せでいっぱいです。


こんな風にチームをサポートして下さる方々がたくさんで私は本当に嬉しいです。


来季こそ、この思いを力に変え結果を残さなければいけないと力をもらいます筋肉プンプン



この場を借りて、伊藤ハム様たくさんの差し入れありがとうございました。


写真からみんなの大喜びの姿が伝われば嬉しいなぁ〜


でわ、最後は島田写真ストーリーでしめたいと思います。


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でわ、またてへぺろ

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