源さんの散歩(1~200)
GS7「不思議な監視カメラ」
奥信濃の、今では過疎化が進んで村人も少なくなってきた山寺。村人が少なくなった途端、狸や狐が人に化けては騙し小魚や油揚げなど盗まれて困っていた。熊は勿論この村では猪や狐、それに狸が多く住む山寺でのことだ。その猪は犬に化け、熊は子牛に化けると、まぁなんとも奇妙な村でのことであった。
ところで、着物を綺麗に着飾ったハイカラな娘や、この村では釣り合わぬ恰好した男が深夜に現れるという声やらその噂をお年寄りの幾人から小僧の耳に入って来るようになった。この悩みを和尚に話しても、和尚は既に知っている風な様子で単なる狐や狸の化け姿と笑って打ち消しあとはさらりとして経を読む。
小僧はそれからと言うもの、この寺では、お賽銭を見守るためにと和尚に許可をもらって設置した不思議な監視カメラがある。このカメラは人間だと、人の心が透けて見えるから何の悩み事で神仏に拝むのかがスケスケに見えてしまうのだ。小僧は経を読まずして一里先の鼠の心でさいも見通せる梟(フクロウ)の目をレンズにした特殊な監視カメラを考案した。
フクロウ監視カメラ
心を読める監視カメラを和尚に話せば「バカ者」と一喝されるから、これはことごとくの内密なのだ。内密故に目立たぬように、フクロウの姿した監視カメラで、電気はソーラー発電で賄っている。だからお天気の悪いときは、知りたい心など読めぬざわざわとして全く役に立つものではなかった。
この不思議な監視カメラは、小僧が苦心惨憺の挙句、鮮やかに天を焦がすほどの巧妙なおまじないを施し、漢方薬と称する様々な動物の臍のゴマを焚いては吟味の上吟味を重ね拵えたものだ。門前の小僧習わぬ経を読むとおなじもので、小僧にあっては思い込んだらかなわぬものはないのだ。屏風に描いた虎で際、いともやすやすと生け捕りにできる小僧の才知なのだ。
それじゃ小坊主は何に困ってこの不思議な監視カメラを考案したのかと言うと、それは夜な夜な出るという狐と狸の、その横暴や不埒の悩み事で考案したものだ。狐や狸の横暴や不埒といっても畜生の化け物に法の番人などはおらぬはず。それ故、仏の鐘を鳴らしても風鈴の音にしか聞こえないはず。
小僧は苦心のあまり化けて出る横暴な狐や狸の心が知りたくて考案したものだ。その心とは、化けてでている元の、誠の、その姿の心の真実のことであると、早合点混じって、またしてもややっこしくまとまらぬ小僧の早弁である。
そしたら何と恐ろしいことに、監視カメラを通した狐や狸の心は人さまそっくりの心があることが分かった。なるほど、人さまの心と同じなら不埒で横暴な狸や狐が人さまに化けることなんて造作ないことであろう。
それなら、狸や狐に賢い人の脳を移植したらどうなるだろうと小僧は考えた。そしたら、和尚の呼ぶ声が聞こえてきた。山門で綺麗な女子がお前を待っている、と、珍しく和尚らしくない怒るような怒鳴り声だ。
小僧は「え!」と、足がすくんだ。
もしかしたら、その女子も、大声を出した今の和尚も、狐や狸に相違あるまい。
そして、山門に向けた監視カメラをそーっと覗き込んで、更に驚いた。
その画像の、狐や狸、その心の表現は人さまにそっくりであった。
横暴で慌てる動物の、その心は人と何ら変わることがないや。
小僧はどうしたものやろうと、咄嗟に悩んだ。
とっ捕まえ、仏前で説教や
お終い





