笑のつぶやき | 源のブログ

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源のブログへようこそ。笑い話を書くことが好きです。ただ今「ことわざ漫談小話」等の笑い話しを創作発表しています。それに季節ごとの俳句や川柳も投稿しています。最近は「戯れ言」も書いています。作品名は画面右下側フリースペースをご覧ください。

 

 笑いのつぶやき

 

     再掲のイラスト  

 

 

 笑いのつぶやき

 W358「石橋を叩く」20221005

 

 信濃の国に石橋を叩く慎重なと、同じ年頃で、あっけらかんとし放漫に生きる女狐(メギツネ)がいた。この狸は毎日寸分も狂わぬ茶碗やお皿を作り、女狐はのんびりと居酒屋を一人で切り盛りしていた。

 

 

          慎重な狸

 

 狸は何時も石橋をたたいて渡る。不揃いのお茶碗やお皿では売れなくて困る。狸は融通の欠片もないほど杓子定規に物事を考え、世間さまの問いや注文に応え、やっとの思いでこれまでの仕事を続けてきた。

 

 

    これは猫ではなく、橋を叩いて渡る「狸」です

 

 

 ところがある時、珍しく狸の心にわだかまりが生じ、仕事に身が入らなくなった。すると、そのすっきりしない心に酒欲しさが芽生えた。昼下がりというのに早々と仕事を切り上げ、居酒屋の椅子にぽつねんと一人腰掛けていた。まだ客など誰もいない。

 

 夜の仕事で起きたばかりの女狐は、お店でなにやらネズミでもいるのか物音が時々きこえてくる。寝ぼけ眼(まなこ)で面倒くさがる女狐はやっとの思いで店内を覗いて驚いた。もうすっかり忘れそうにある陶器作りの職狸、まだ独りものの狸の姿である。

 

 何に悩んでいるのか。寂しそうな狸の姿に、賢い女狐は、その狸の悩みがどんなものかが直ぐ分かった。

 

 それは女狐の恐ろしい直観である。

「おや!珍しいね」女狐が俄かにこしらえた笑顔で語りかける。

 慎重な狸はその声にも黙ったままだ。

 すると女狐は、

「世間のが恋しくなって?」

 女狐は妙な言葉を狸に振りかけた。

「何!・・へ?」

 

 

 

 狸はこぼれそうな大きな驚きの目で女狐を見返した。眩しいほどの麗人女狐が、驚きの言葉を発したのである。居酒屋の世界とは赤裸々なもので屁が堂々と隠語の垣根を通り過ぎている。

「そうよ、世間のいろいろな屁を嗅ぎに来たの?」

「バカ言っちゃいけない。俺はよそさまの屁を嗅ぐ外道ものじゃ ない」

 

 すると女狐は、棚から様々な陶器を出し、それ等をカウンターに並べた。

「これはみんなお前さんがこしらえた器よ」

「そんなの、知ってらぁ」

「そうよ、どこから眺めたって欠点など、どこにもない立派な器よ」

「当たり前だ」狸はどうだ、とばかりに胸を張った。

 

 女狐は微笑みながら、更に、

「バカねぇ、飽きもせず毎日毎日同じものをよく拵えるわね」

 すると狸は

「バカ!・・バカとは何だ!それに同じものとはどんな了見だ?」

 狸は珍しく声も高らかに怒りまくった。

怒った狸を、なだめるように女狐は優しく語る。

「食べずには生きられぬ、それでこうなるのね」

「そんなことは当たり前だ」

 

 すると女狐はまた妙な事を言い出した。

「春になると地面から勢いよく這い出す筍(たけのこ)は知っている?」

 女狐はまた筍などと妙なことを言う。

「筍!それがどうした?」

「筍は大きくなるにつれ、根本の方から皮が剥がれるのよ」

「そんなことは知っているよ」狸は穏やかに応える。

「また伸びると又剥がれる。そうよ、ひと節ひと節そうやって筍はだんだんと大きくなるのよ」

 

 

         竹林とタケノコ

 

 狸は女狐の言いたいことが薄らぼんやりと分かった。

 狸には代り映えのない毎日の仕事に嫌気がさした。これでは単なるでくの棒に過ぎぬ。その悩みにふけ、解けぬ心を背負ってこの居酒屋に飛び込んだのだ。

 

 そしたら女狐に「屁」はどうだ、「筍」は知っているかと唐突に聞かれた。

 

 成るほど、筍は新しい世界や世間に触れるとじっとしてはいられなくなって、次々と皮が剥がれ新しいものや周りの世界を知る。そうやって筍はだんだんと大きくなる。

すると狸は、

「世間の屁とは、そのような筍を言うのか?」

「それぞれの臭いの違う屁は、これもありあれもあると次々と教えてくれるの、ほほほ」女狐は安心したのか、一途な狸を見つめてやっと笑った。

 

           麗人女狐(再掲)

     

 

 慎重な狸は、目の前の盃に自分の顔が浮かぶのを見て、その盃を一気に呷(あお)った。

 

 どうやら胸に詰まったものが薄らいできた。

 世間の心は同じように見えてもこのように違うものか。その違う心と心が交わり同じものができる。また新しいものがそこから生まれる。俺が拵えた器はこれまで文句の一言もなかった。

 

 それなのに、どうしてさっきはやるせない気分になってこの店に飛び込んだのか、今となってはそれが不思議だ。女狐の言うのを信じ、世間の屁を嗅ぎ、裏山の筍を考えた。そしてパチパチと算盤をはじくように酒を呷って考え、それを整理したら、俺はこれでいいということが分かった。

 

 女狐の教えに、胸に痞(つか)えたわだかまりは薄らいだ。だが、この女狐の言うことを信じていいものか、と、妙な心配がまた心をよぎった。

 

 信じてよさそうな女狐の言動も、これもひとつの心でありひとつの世界と言うべきか。これはもしかしたら言葉巧みに、女狐に騙されているのか、それとも悪い夢でもみているのか、とまた疑った。

      お終い

 

 

  

   次回は10月10日(月)

    おらが川柳

   「コロナ隠して人を撒く」です。

   え!これって、どんなこと?

   (掲げても、自分でもわからないのです

        どうなるか)

   

      次回をお楽しみ