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小説1~10
5「ことさら」 その5(5/6)
それから三月もすると呂上靖明は、定年を溯ること五年を残して会社をやめてしまった。友人の身代わりとなって、これまで長く勤めた会社を辞めたのである。この事は、友人には分かることではない。友人は十年ほど前、多額の借金をし、土地を買って待望の家を建てた。あの時は家族の喜びようも一入ならであった。割合呑気で、親譲りの土地や家のある呂上には退職の要請は無かった。だが、困ることに、会社の勝手な整理縮小のためと言って、五十になったばかりの友人が該当するはめとなったのには驚いた。この面倒な相談を持ち込んだのは、これまでも気の進まぬ、気取り屋で女好きの、あの人事課長の瀬田である。
「この景気の悪さは開発三課の呂上さんにも分かる通りだ」
「それは分かります。内の課も、成績は落ち込んでいるから」
「この際はっきり言うが、おたくの補佐と係長に辞めてもらいたい」
「え、補佐と係長に!」
「ああ、このことは君も会議などで知っている通りだ。うだつの上がらぬ課長や係長の整理統合だ。それに、五十や五を過ぎた月給泥棒の男や女も一緒だ。それには補佐も該当する社運を掛けた人員整理だ」
「月給泥棒とは恐れ入った!」
「自分の稼ぎがどれほどあるか分からぬ者たちはやめてもらう」
「怠け天才の僕が対象にならず、どうして、係長や補佐になった?」
「人事課長が決めたことではない」
「これまでの成績が、どうのこうのと云うのであろう」
「それは勿論だ、それを決めたのは君も分かるとおり三役だ。僕などは、いざともなれば人の首など帳簿に並べること際出来ぬ気の小さな男だ」
「課長ではなく、三役が勝手に決めたと云うのか?」
「部下は可愛いものだ。勝手などと、そのように目くじらをたてるな」
「彼等は有能な人材だ」
「何処を回っても同じことを言われて困る。何なら、これまで開発に苦労した君が受けるかね?こうして社長に代わって勧告する僕だって、人員整理後は定年を待たず引退を考えている。ただし、このことは苦労を共にした君にだけ話す」
「そのような事は僕の知った事ではない。補佐や係長は真面目で会社のためになる男だ。それを景気が悪いからと言ってやめさせるのか?」
「ここは研究所ではないのだ。幾ら良いアイデアを持ち込んでも、実績が無いのでは子供が偉人の言葉を諳んじるに似て、実際の利益にはつながらないことぐらい君にだって分かるだろう。君にも分かるとおり、実績が残らなければ評価の対象から外れる」