ことわざ漫談噺 | 源のブログ

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源のブログへようこそ。笑い話を書くことが好きです。ただ今「ことわざ漫談小話」等の笑い話しを創作発表しています。それに季節ごとの俳句や川柳も投稿しています。最近は「戯れ言」も書いています。作品名は画面右下側フリースペースをご覧ください。

ことわざ漫談噺
ことわざ落し話61~90

90「雀百まで踊り忘れず」

 

この「雀百まで踊り忘れず」はみなさんもう存知ですね。そうです、小さいとき身につけた習慣は年をとってもかわらないものであるということです。ですからちいさいときの教育や小さいとき、親から教えられた躾は大人になっても忘れることなく身についているということです。みなさんは親から教えられたこと守っていますか。大人になったらやめたなんてがっかりするようなことはしないでください。それじゃ聞くが、お前にはどんな躾があるのか、ですって?そりゃありますよ、誰かさんのように成人式になって酒とともに何処かにいっちまったなどと、寂しいことは言いませんよ。それこそ習った躾を探してつれて来いと、怒鳴られますよ。

それでは毎度のばかばかしいおはなしです。

 

「雀百まで踊り忘れず」

それでは毎度のばかばかしいお話しです、と、話しかけたのだ。そしたら、親子で来た方の子供が売店で買ったせんべいをポリポリ食いながら、小さな頭に浮かんだ疑問をいちいち鐘でもたたくようにこっちに飛ばすのだ。

 

「え!雀は百まで生きるって、そりゃ驚きだ」と、これがこの子供の第一声だ。

うるせいガキだなぁ。喋っている先からいちいち話しかけやがって、子供なら黙っておとなしく聞いていろてんだ。ああ、その親を見れば、おれの話がよほど面白くないのかよだれをだしながら夢の中をさまよっている。俺の話は裏山から流れる沢の水の音でもと思ってやがる。

 

「え?雀だって、おれたちと同じ動物だ、おかしいなぁ」と、まだガキの声だ。

雀百まで、それに比べたら人間なんていうのは、しょうもない生き物ですなぁ。だってねぇ、人間五十年と言われてこのかた、ええ、五十を過ぎればいろいろと体には障害や病気が自然とあらわれてくるものですよ。老いての加齢現象というのがこれでななぁ。

 

「へぇ?カレイ!カレイーライスじゃねぇよなぁ、へぇ、カレイって、どんな病気があらわれてくるのだ?」と、まったく、うるせぇガキだ。

障害や病気、そりゃひとつひとつあげたらきりもないが、とくに早くから出て来るものには目の病気がある。目の次に出てくると言えば足と来て、それでは次はと聞かれれば、それは耳ですなぁ。目や足、それに耳が悪くなったって、鼻と両手が丈夫なうちはそれでもまだまだ達者で生きられますなぁ。これを世間では「あいつは何時まで生きるのだ」と言う、嫌われ文句です。信号機で言えば黄色いのがチャカポカと点灯して、何時死んでもいいですよという世間の判断がこれですなぁ

 

「え?どうしてだ?」

何をとぼけたことを聞きますか、両手でお茶わんと箸を持ってですよ、それに自分のその鼻がなにより元気でよければ、そりゃずっと生きて行かれるものですよ。

 

「だから?どうしてだ」

お前さんも割合しつこい男だね。そのくらい分からないかねぇ。

 

「おらぁ、分からないからこうして聞いているのだ」

ああ、わかったよ。面倒なヤロウが 正面にちょこんと座りやがって、俺の顔にセミでもとまっているような目付きで、ほれ、早く鳴けとばかりに睨んでいるから話しずらいし、第一やりにくい。良いか、鼻が元気なうちは、膳に載った味噌汁だって、タクアンだって一夜干しのイワシだって鼻が言わずと、どのようなおかずかちゃんと教えてくれるものだ。だから、目や足、それに耳が不自由だって、両手と鼻が元気なうちは生きていかれるというものだ。分かったか。

 

「その辺が、まだ、どうも分からねぇなぁ」

何?まーだ、分からねぇっていうのか?

 

「だってなぁ、目や足、それに耳が不自由だって、両手と鼻が元気なうちは生きていかれるというが、もし、その口や歯、それにベロがなかったらどうすりゃいいのだ」

何?口や歯、それにベロだって?ほう!成るほど、そりゃそうだなぁ。口や歯、それにベロがなかったら、うまいイワシは食べられぬし味噌汁だって飲めはせぬ。

 

「だから、それを俺等は聞きてぇんだ。それを、早く教えろ」

本当にとんでもないガキが傍にきたものだ。こりゃ当分終わりそうにもないぞ。まともにこのガキに付き合いば残業になってしまう。だが、はなし家が残業手当をもらったなど、これまできいたこともない。

 

「やい、おっさん。何黙っているのだ?」

黙っちゃいないよ、今、どうすりゃ良いか考えているのだ。

 

「下手な考え、休むに似たりというよ。だから、休んでいないで、早く喋れ」

この悪ガキは弱い亀でも見つけたように威張りだした。この弱い亀を己の心で無性にイジメたくってしょうがないのだろう。それで、金を払って落語を聞いている都合上、とんでもないことを言うものなら、バケツの中に入っている雑巾の如く、クソ面白くないその雑巾を、思いっきり絞ってやろうとしている気構えだ。まぁ、ここは冷静に考えてと。

 

「おさん、観念したのか?」

観念どころかこれまで習った知識を倉庫に行って紐解いてまいりました。それによりますと、口がなかったらものは食べられないし水も飲めないといいまして、これをもって死人といいます。

 

「何だ?雀百までが、何でシビトになるのだ?」

目や足、それに耳が不自由であっても、両手と鼻が元気なうちは、元気に生きていかれると言いました。それに達者な歯やベロがあっても、もはや口がなければ人間は死人となるし、雀は踊り忘れて死んでしまいます。

 

「何だって?口がなければ雀は踊り忘れて死んでしまう?・・もう少し、ねぇ、すっきりしたいのだ。このような話じゃ、おらぁ便秘だ」

せんべいを食いながら便秘なんてとんでもないガキだ。このガキが便秘するわけない。ところかまわず食いつづけているからそのうち人間豚になる。踊り知らぬガキとは、いや違う、踊りを知らぬふくらスズメとはこのガキをいうのだ。

 

「おい、どうした?舟がつかないぞ」

ウルサイ、バカ、どっちに行って良いか分からなくなったのだ。到頭ガキを怒ってしまいました。話し家が、口がなければシビトとおなじなのだ。この、バカが・・お前がウスサクテやっていられないのだ。

 

「してやったり」と、ガキの声がきこえたのです。

お後もよろしいようで、

          (しょんぼりと、元気のない)源五郎

 

(注)ことわざ用語:旺文社「国語辞典」1986年版参考