ペリーと同じ?! | 市民社会づくりの日々

ペリーと同じ?!

今日はまじくるでまじくるカフェとフィードバック研究会とそこに高専生のインターンシップが同居して集まりました。


何か一緒にしようか、どうしようか?と思っていたのですが、相談&交渉の末に「大振り返り大会」をすることにしました。


それぞれが設定するテーマに基づいて、振り返りをすることになったのです。(っていうか、私がそうした感じですが…)


まじくるカフェのメンバーはカフェの振り返り、高専生は自分たちのインターンシップの振り返り、そしてフィードバック研究会の面々は、釧路に移り住んだor研修に来たメンバーはそれぞれの「釧路に来て」という振り返りをして、私を含むフィードバック研究会のコアメンバーは研究会の振り返りました。


私はフィードバック研究会の若者たちと一緒に振り返りましたが、みんなの「振り返り能力」の高さに改めて感心しました。


うまく振り返るために「テーマ」「その活動の目的」「何をしたのか?(活動の内容)」「目的に対してやったことがどれだけの効果や影響があったか」「自分の変化」という項目を設けて、それぞれ書き出してみました。


それを、順に説明してもらったのですが、それぞれの表現力が実に面白いのです。


札幌でのかなりの困窮状態から脱出してきて2年ちょっと過ぎたヒロキは自分の変化を


来る前「ガリガリ 貧しい 何もできない」


今は「丸くなった 人並みのお金 やろうと思えばできるように」と表現しました。


その「やろうと思えばできるようになった」という絶妙な表現をするあたりに私は感心したのです。


まだまだ自分としてもできていない部分も理解しつつ、それでも、やろうと思えさえすればできることを感じ取っている、その微妙な途中の感じを見事に表現しているなぁと思います。


ヒロキの妹ミサキは、人とのかかわりの変化を語り、やり取りの中で「人にすりよれるようになった」と表現に到達。


ヒロキに「あつかましくなったんだよ」と別の表現もしてもらいました。


その表現はどちらもまさにその通りで普段から表出や人への発信が非常に少ないミサキが少しずつ人を頼ったり、発信をしたりできるようになっている様子を見事に表しているなぁと思います。


同じく札幌から来て2年半ほどになるヒトミは「来た頃の自分は『ただのかまってちゃん』だった」と表現しました。


その表現があまりにも当時のヒトミそのものを表していたので思わず笑っちゃいました。


そのうえで、今はまだかまってちゃんだけど、「ただの」ではなくなったんだそうです。


これまた絶妙。


今年の春から釧路で暮らしているほりぃは「自分の対処法がわかってきた」と自分が追い詰められたときや苦しくなったときに対応方法の具体的な変化を説明してくれました。


その対処法が実に合理的で、理論的なのです。


自分が困った時の対処法は誰にとっても大事だけれど、意外になかなかできないことが多い中でいかにサバイバルに自分で切り抜けてきたかというたくましさと鋭さを感じるのです。


東京から一週間、釧路での研修&ホームステイをしてるおぐは「考え方がすごく変わった!」と言いました。


これまでは大学に行かないなんて信じられないし、大学で人生が決まると思っていたけれど、まじくるなどでいろいろな人たちに出会って接することで、大学に行かなくても、人生楽しい、高卒でも中卒でも、いい人や尊敬できる人がいる、かっこいいと思ったそうです。


東京では周囲の人たちや社会の価値観によって決められたレールに乗って生かされている感じで、自分の意志で生きている感じがしなかったけれど、たくさんの人たちに会うことで常識だと思っていたことへの違和感や自分をさらけ出して本音で語る、付き合うことが大事なことを知ったそうです。


その上で、そうした中で生かされていた自分を理解しつつ、東京に戻り自分の意志で改めて勉強を頑張ると言いました。


もし、就職できなかったら釧路に来ようかなというおぐに、みんなが「いいよ!来な、来な」と大歓迎。


また、札幌から親との距離を取るために約3週間研修に来ているなぎはいろんな人たちに支えられて、話を聞いてもらって、自分のことや家族のことを考えるきっかけになった、自分の気持ちを言葉にして伝える大切さを知ったと言いました。


親に対する気持ちに変化があり、「親がいるから、育ててくれたら今の自分がいる」と思えて、親に「産んでくれてありがとう」と伝えることができたそうです。


なぎの変化は親にも伝わり、帰ってくる日を楽しみにしてくれたり、気遣って電話をくれたり、そして、昨日の朝にはお母さんが自分で就職を決めてきたとの嬉しい知らせがあり、とても喜んでいました。


親子で少しずつ前進しているのがとてもとてもうれしい様子です。


普段から、いつもニコニコ笑顔がトレードマークのなぎですが、いつにも増して笑顔でした。


そして、フィードバック研究会を振り返ったのは私と次女とつるちゃん。


つるちゃんは、それまでなかなかできなかった「自分のことを話す」ことを通して、それまで『自分って変?(泣)』と思っていたのが、『変でも何とかなるかなぁ~』と思えるようになったそうです。


次女は研究会で思った以上に他者の話が興味深かったことが収穫だそうです。


その背景として、こんなにバラエティに富んだ人たちと真面目な話を議論するような関係性をつくることがないから、機会がなくて対話することがないけれど、フィバ研という機会を通じてその普段の関係性の中では不可能な経験ができる貴重な機会だということのようです。


人の話が面白いというのは、まったくもって私もそうです。


今日もまさしくそうですが、人の話を聴くのは本当に面白いのです。


一人ひとりいろいろな経験をして、日々感じて、それをそれぞれの受け入れ方をして、処理をして、受け止めて、生かしたり、時には損なわれたり…そんな積み重ねを教えてもらえるのは実に興味深いのでした。


そんな話を聴きたいから、私は相談の仕事をしたり、こうやってフィードバック研究会を企画して参加しているのかもしれません。


同時に今、自分たちに降りかかるたくさんの社会の課題を乗り越えて、一人ひとりが豊かに生きていけるこれからの社会を創るために、一人ひとりの力を損なうことなく、発揮できるための環境づくりを模索しています。


おそらくは固定化した誰かが何となく決めたきまりや習わしにしたがって行くのではなく、本当に何が大事で、何が必要で、自分たちに何ができるのか自分で感じて考えて、表現し合うことが何より大事だと思っています。


でも、立場や役割や自分を縛る諸々の者から解放されて、自分の発の表現のし合いをする機会は実はそう簡単ではなく、配慮と丁寧な合意形成や繰り返しの確認が必要だと思っています。


そんな問題意識から、いろいろな場面でいろいろな文化や価値観のある人たちがお互いの持っているものを出し合えるようにいろいろな試みをしているのです。


でも、まだまだたどり着いた感じもしないし、いろいろな現場で壁にぶつかります。


それでも、今日のよう若者たちと言葉にする時間を共有すると、「いやいや、まだまだ可能性はあるぞ」と励まされます。


自分としてはとても楽しく、充実した時間でした。


実は、このノリで明日は若者たちと1泊合宿研修に行きいます。


語りだけではなく、いろいろな活動を一緒にしながら、さらに異文化交流を深めます。


今日の議論の中では、みんなに「常識からの解放運動だよね」ということは共感してもらって、嬉しくなりましたが、ふざけたノリで「じゃあ、ペリーだね」と言われて、どうやら私は黒船で鎖国をしている日本という国やコミュニティや個人の港に乗りこんでいくことを迫る役割を期待されていることは分かりました。


でも、あながち間違いじゃなく、人とかかわり、ずっと伝えていることはいろいろな人たちがお互いの固有性を尊重し合いながら、お互いを高め合う交流をすることであり、それは国と国が侵略し合ったり、閉じこもったり、排除し合ったりするのではなく、独立国として尊重し、自由貿易を行って高め合うのと同じなのかもしれません。


よく、グローバル社会の到来とか言って、外国との交流を大事にしたり、英語を話すことが大事だと言われたりしますが、そんなことより自分と違う文化や価値観をもつ他者と自由に交流するスキルを身につける方がずっとずっと大事だし、それが基盤になければグローバルも何もないような気がします。


自己と他者の自由交流が成り立つ基盤を築くための試みを模索していきたいと思います。