好きなこと
2週間ほど前から本格的に調子を崩していた次女が復活傾向です。
今回、一週間ぐらいぶりに家に帰ってきたら晴れやかな顔つきになっていて、「元気になってきたんだけど、どうしたらいい?」とうかがいをたててきました。
というのも、母親である私からの強制休養命令によって「何もしない」ことができていたらしく、それによって少し落ち着いた模様です。
それから、抗うつ剤も丁度効き始めるようなタイミングです。
本人としても「休むのだ」というスイッチが入った感じでもあります。
ようやく、うまく休めてきたので、「まだ、何もしなくていいから、休むこと」と引き続き強制休養命令を出しました。
とはいっても、借りてきたビデオを見たり、本を読んだり、それなりに自分の時間を過ごせているようです。
今日は、本人からの強い希望で夜釣りに出掛け、恐ろしく寒い強風の中で岸壁に立ち、ほぼボウズにちかい状態でもたいそう楽しかったらしく、「やっぱり釣りは楽しいね」と嬉しそうでした。
母としては、苦手な寒さの中でも、次女が楽しいと感じることができたのはよかったよかったと一安心。
調子が悪い時には、何も楽しいと思えずに、これまで好きだったことがあたかも前から好きじゃなかったかのように落ち込んでいたので、「やっぱり、自分にも好きなことがあった」と再認識できたことはよかったようです。
そういう意味では、本を読む時間が増えたのも、好きなことが復活した兆し。
本人はぼそっと「楽しいことがなくなるって、つらいんだよ」と言っていましたが、本当にそうだよなぁと思います。
それにしても、はたから見ていて、どう考えても次女の釣り好き、読書好きは明白な事実であり、調子が悪い時に「本当は好きなんじゃかなったんではないか…」と言われても、『どう考えても、あんたは釣りと読書が大好きだよ…今は調子が悪くてそう思えないだけさ』と思えるのですが、本人にとっては、周囲からしたら当たり前に思えることも、自信がなくなるということですから、そのあたりを理解する必要があるんだろうと再認識します。
今日はえにぃでケース会議や打ち合わせを通して、どうやら次女と開発しつつある「フィードバック研究会」が実現化へ動きだしそうな気配です。
そういう意味でも、やっぱり人が悩むことはとても大事だし、個々の悩みには人間にとって普遍的な要素が必ずあり誰もが自分事としてコミットすることができるし、誰かの悩みをみんなで次に活かすことこそ協働的な支援プロセスのあり方だろうと思います。
さて、明日もえにぃで一日、打ち合わせ。
夜はまた東京へ戻り、明後日は早朝の新幹線で仙台に向かいます。