中西麻耶オフィシャルブログ「BLADE RUNNER MAYA」Powered by Ameba
=2018年度出場予定大会=
4月15日(日)宮陸チャレンジャーズゲート競技会 宮崎県宮崎市: KIRISHIMAハイビスカス陸上競技場
4月30日(日)第72回大分県陸上競技選手権大会 大分県大分市:大分スポーツ公園大分銀行ドーム
5月12日(土)第62回中部実業団対抗陸上競技大会 岐阜県岐阜市:メモリアルセンター長良川競技場
6月15-17日 Desert Challenge アメリカ :アリゾナ州
6月30-7月1日 第23回関東パラ陸上競技選手権大会 東京都:町田市
7月7-8日 2018ジャパンパラリンピック陸上競技大会 群馬県前橋市
8月17-19日 Garman Nationals ドイツ:ベルリン
9月1-2日 第29回日本パラ陸上競技選手権大会 香川県高松市


講演依頼等のお問い合わせ
マネージメント会社が変わりました。
依頼は JEB ENTERTAINMENTまで
http://www.jebentertainment.jp/a>



1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>
2018-04-22

忘れられない日々

テーマ:ブログ

イベントや講演が続いていたので、なかなか吐き出せなかった感情を書き綴りたいと思います。

 

私が21歳の時、ちょうど足を失う2.3日前に我が家にやってきた捨て犬「モナカ」ちゃん。

雨降りの夜に友達と保護したワンちゃんで、とりあえず中西家にやってきたのです。

いつも困った顔の可愛い可愛い子犬でした。

 

マスクメロンの箱に入れて帰ったのを覚えています。本当に小さくて動物病院の先生の話だと「まだお乳飲む時期じゃないかな?」と言われるくらい、幼犬だったんです。

 

小さい頃は、拾い食いをしてて、色んな病気を併発していたのですが、母親のケアのおかげでスクスク育って行きました。

私は思い返せば、モナカが家にきてすぐに、事故に遭って入院生活を送り、退院したと思えば単身大阪に向かい、陸上に明け暮れて、それからアメリカにも渡って、モナカとはあまり一緒に過ごす時間を取っていなかったと思います。

 

モナカは凄い勇敢で、たまにマムシと喧嘩して負けてしまい、顔が腫れ上がって動物病院の先生に笑われたっけ。

 

 

 

痛かったよね。ごめんね!守ってあげられなかったね。

 

散歩の後は決まって水道水をダイレクトにかぶりついたりしてお茶目な一面もありました。

 

そんなモナカが去年の9月末に急に食欲がなくなって、でも私はまだ遠征や仕事で家を空けることが多くて両親に任せっぱなしにしてしまっていました。

 

福島に向かう前に、私が、何か食べてくれないかな?

と思って、角天をあげると食べてくれて「あんたがやると食べるんやけどな」と母に言われながらも私は陸上と仕事を選んでモナカを残して出張に出かけました。

 

その間にも、かかりつけの病院には父が連れて行ったようですが、「肝炎になっている」ということで薬も処方されてなんとなく私は安心していました。

 

でもご飯をとにかく食べなくって、薬も飲んでくれないので、無理やり口に入れては飲み込むまで口を押さえてたりしてました。

 

遂に私は、セカンドオピニオンを考えて違う病院の受診を両親に打診したのですが、忙しくて連れていけないということで私もこの時期に初のドラマ挑戦でお稽古が深夜まで続いていたのでどうしても連れていけませんでした。

 

とはいえ、深夜しか時間が取れないので、深夜の緊急で見てもらうことに。。。。

車に乗せた時の不安そうな顔は今でも忘れられません。

 

 

診断の結果は過酷なものでした。

 

「腎不全」

 

もう助からないと言いたいんだろうなと思うような遠回しな感じで医師から説明がありました。

やれることは「点滴」と「輸血」だけ。でも輸血できる条件を満たした犬を飼っているような友達もいないので点滴をすることしか選択肢がありませんでした。

 

 

そっから毎日、毎日、朝病院に連れて行って、練習や出張に行って、夕方にモナカを迎えに行く日々が始まりました。

最初の方は散歩も気分が良いときは気持ち良さそうに歩いていましたが、おしっこを十分に出すことが出来ないので毎日の点滴のおかげで全身が浮腫んでいきました。

 

でも尿意と便意はあるようで、夜中にムクッと起き上がって「お母さん、トイレ、トイレ」って起こしてくれて、浮腫みもすごかったのですが、貧血も酷くて、もう自分では起き上がるのも出来なくなったモナカを抱きかかえて支えてあげながら排尿排便をしていました。最後の方は体重が11キロから18キロになるまで浮腫んでしまって、支えれなくて一緒に崖から落ちたこともあったね。怪我させないようにモナカを守ってあげることでお母さん、精一杯だったよ、、、。

 

 

寝返りも打てなくて、私も褥瘡にだけはさせたくなくて、体位変換を1−2時間おきにする毎日。

グッスリ寝れない日もあって、でも朝8時には家を出て点滴に連れて行かれて、モナカは本当は辛かったかな?

 

食事もなんでも食べてもいいわけではなく、腎臓に負担の少ないご飯を毎日作っていました。

でも、食欲も落ちて食べてくれなくなりました。

 

もう何もしてあげれない苦痛に耐えかねていたときに、先生が準備してくれていて、嬉しいことに輸血を受けることが出来ました。

帰ってきたモナカは顔色も良くなってて、久々に尻尾も振っていました。

でも、先生には「一時的な延命でしかない」と説明を受け、もう本当に、モナカに残された時間は少ないんだなって、、。

 

家に帰って、モナカの好きな手羽先を焼いてあげました。

きっと腎臓にはあまり良くないんだけど、嬉しそうに尻尾を振りながら10本くらい食べてくれて、骨を外してあげるスピードな追いつかなくって怒ってたね。

 

でも、この私の手からあげている手羽先がもしかしたらモナカの命を短くしてしまっているのかなと思ったら、お母さん、本当は辛かったよ。

 

その日の夜はちゃんと息をしているのか不安になるくらい久々にグッスリ寝ていました。

 

 

1週間は元気な日が続いたかな?

急に甘えん坊になって、近くにいないと私のことを探してました。

 

ちょっとでも離れると、起きて探すから、大変だったわ。

でも、二人で色んな時間を過ごしたね。

 

1週間を過ぎると急激に体調が悪くなりました。

 

車に乗るのも苦痛そうで点滴に連れて行くのを躊躇うくらいでしたが、それでも毎日通院して。

遂には眠ることすら苦痛なんじゃないかって思うくらい、体調も優れなくて、、、。

 

そんなとき、どうしても日帰りができない講演や撮影が続いて、しかも急に「明後日、東京にきてください」みたいな仕事も多くなって、でも、弱って行くモナカの側にいれることは容易ではなくて、自分が情けなくて、ズルくて、辛くて、どうしようもなくて、でもイベントや公園、撮影では笑顔でいなきゃって笑えば笑うほど、心は罪悪感でいっぱいでした。

 

別府の講演前に、いつものように病院に連れて行くと「もう覚悟したほうがいい」ということで、点滴用の置き針を抜いてもらい、私は講演に向かい、父にすぐに迎えにきて欲しいと伝えました。

 

講演が終わると家までの道のりがこんなに遠いのかと感じるくらいなかなか家につかなくて、急いで帰りました。

 

車を降りたときに母の叫び声が聞こえてきて、、、。

「大変!モナカちゃんが苦しそう」

 

駆けつけたときには、脱糞もあり、大量の尿も出ていたし、呼吸が止まっていたので、一瞬、人工呼吸しようかと思いましたが、これ以上、モナカを私のエゴで延命するわけにも行かないと思い、そっと撫ぜてあげました。

 

まだ温かくて、穏やかな顔もしてて、生きているように見えました。

綺麗に体を拭いて、最後の一夜を過ごすと、次の日にお墓を作りました。

 

お母さん、下手くそだからさ、、、

重たくなっちゃったよね、、、、。ごめんね。

 

 

小さい頃から可愛がってくれていたコロちゃんの横にいまも穏やかに寝ているのかな?

コロちゃんは18年も生きたけど、モナカは11年って短い人生になってしまったね。

もっと色んなことが出来なかったのかな?って今も後悔しない日はありません。

 

ねぇ、モナカ。

貴女は、中西家にきて幸せだったかな?

もっと食べたかったものなかったかな?

陸上を選んでごめんね。

 

皆さんに心配かけないようにずっとずっと心にタメていた感情を今日は出しちゃおうと思います。

 

私は、モナカと過ごした日々は幸せで、今思い返しても楽しかった思い出しかないです。

約2ヶ月の介護の日々で、両親にも心配されるくらい寝れてなかったけど、苦痛ではありませんでした。

うまく出来ないこともあったし、抱えてあげれなくて一緒に転んだり、二人して起き上がれなくて一緒に泣いたこともあったけど、ただ、生きてくれているだけで、こんなに愛おしくて、嬉しくて幸せなことはありませんでした。

 

またお互い生まれ変わったら、今度はモナカがスポーツやって、私が、毎日モナカの帰りをまだかまだかと待ってみようと思います。

 

 

R.I.P モナカ

2017.11.5

 

 

 

 

 

 

 

 

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

Ameba芸能人・有名人ブログ

芸能ブログニュース