お散歩ナビゲーター小島信康です。
今回は只今開催中の東京お散歩教室「第188回 東大前~日暮里散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。
出発は東大前駅から。
まずは、東京聖テモテ教会へ。
東京聖テモテ教会は、文京区弥生1丁目にある、日本聖公会東京教区の教会。
明治36年(1903)にアメリカ人宣教師ウェルボーンによって設立された教会で、明治42年(1909)に旧礼拝堂が完成。
明治43年(1910)に発表された森鷗外の『青年』という小説に「出来たばかりの会堂」という記述で、この聖堂が登場しています。
そして、昭和7年(1932)には、国産第1号のパイプオルガンが設置されましたが、昭和20年(1945)の東京大空襲によってすべてを焼失。
現在の聖堂は吉田辰夫の設計によるもので、昭和25年(1950)に再建。平成14年(2002)に現在のパイプオルガンが設置されました。
東京聖テモテ教会の次は、根津神社へ。
根津神社は、文京区根津1丁目に鎮座する、須佐之男命、大山咋命、誉田別命を主祭神として祀り、大国主命と菅原道真公を相殿として祀る神社。
根津権現とも呼ばれ、東京十社の一社に数えられています。
由緒は、日本武尊が1900年近く前に創祀したといわれ、文明年間(1469~1487)に太田道灌が社殿を奉建。
現在地は江戸時代、甲府宰相·徳川綱重(徳川家光の三男、徳川綱吉の兄)の山手屋敷で、後に6代将軍となる徳川家宣(徳川綱重の長男)の誕生の地でもありました。
5代将軍·徳川綱吉は養嗣子家宣の産土神として、団子坂北の元根津(千駄木)にあった社をこの地に移して社殿を造営。
宝永3年(1706)に完成した権現造の本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、国の重要文化財になっています。
この他、境内には、摂末社として乙女稲荷神社と駒込稲荷神社が祀られており、「徳川家宣胞衣塚」と称する家宣の胞衣(胎児を包んだ膜と胎盤)を埋めた塚、「塞の大神碑」という道祖神、「家宣公の産湯井戸」(非公開)、庚申塔などもあります。
根津神社の次は、芋甚へ。
こちらで最初のおやつタイム。
みんなで、昭和焼やアイスモナカを頬張りました。
芋甚の次は、大名時計博物館へ。
途中、鳥のいるカフェを外からチェック。
大名時計博物館は、台東区谷中2丁目にある、谷中の陶芸家·上口愚朗が生涯にわたり蒐集した、大名時計を展示している歴史博物館。
上口は昭和26年(1951)、勝山藩の下屋敷跡に上口和時計保存協会を設立。
上口没後、二代目上口等が昭和49年(1974)に本館を創立しました。
展示品は、江戸時代に製作された、櫓時計、枕時計、印籠時計など。
一点一点が大名お抱えの時計師が作ったもので、数が限られているうえ、明治6年(1873)に時刻制度が不定時法から定時法へと変更された時に廃品となったり、海外に流出したものが少なくないため、非常に貴重な品々といえます。
なお、館内は撮影禁止となっております。
大名時計博物館見学後、記念写真。
皆さん、撮影ご協力有難うございました。
大名時計博物館の次は、日荷堂へ。
日荷堂は、台東区谷中1丁目、日蓮宗の寺院「延壽寺」の境内にある、健脚の神様として知られる日荷上人を祀るお堂。
現在の日荷堂は、明治44年(1911)に再建されたもので、宝暦5年(1755)に身延山山本坊(山梨県)より日荷上人尊像を勧請し、以来、江戸の人々の足腰の病平癒の祈願所として信仰を集めてきた日荷堂の堂内には、健脚祈願や祈願成就に感謝した人々から奉納された絵馬が多数掛けられており、この絵馬群は台東区有形民俗文化財に登録されています。
日荷堂の次は谷中富士へ。
途中、剪定されてすっかりスリムになった谷中のシンボル·ヒマラヤスギをチェック。
谷中富士は、台東区谷中1丁目にある富士塚。
この地はお寺に挟まれた三角地で、江戸時代の地図にも「谷中町村分」とあり、富士塚や井戸もあったことから、人々の集まる所だったことが窺えます。
そして、長年、書画や富士講など江戸の文化を研究してきた千寿庵(ギャラリー千寿)の庵主が、昭和初期の長屋を修繕するにあたり、敷地内に古い小さな富士塚があることを知り、深い縁を感じました。
そこで、北口本宮冨士浅間神社の宮司·上文司厚氏より、「谷中冨士」という名前を頂戴し、人々がお参りできるよう周りを整備して、現在の姿になりました。
谷中富士の次は、妙泉寺へ。
妙泉寺は、台東区谷中1丁目にある、長久山と号する法華宗本門流の寺院。
創建は慶安4年(1651)で、智泉院日達上人が開山・開基したといわれています。
また、境内には、貧乏が去る像が安置されており、貧乏神を撫でた後、頭上の猿を撫でると貧乏が猿(去る)といわれています。
妙泉寺の次は、下町風俗資料館付設展示場へ。
下町風俗資料館付設展示場は、台東区上野桜木2丁目にある、旧吉田屋酒店を再生した区立の展示施設。
吉田屋酒店は、旧谷中茶屋町(現在の谷中6丁目)の一角にあった江戸時代以来の老舗酒店で、昭和61年(1986)まで営業をしていました。
閉店後、台東区によって現在地に移築され、昭和62年(1987)5月から下町風俗資料館付設展示場として無料で公開。
建物は、明治43年(1910)に建てられたもので、昭和10年(1935)に階段の付け替えや正面入口のガラス戸の新設など、一部改築はされましたが、明治時代の商家建築の姿を残す貴重な建物として、1階店舗と2階部分、及び道具・文筆類が台東区指定有形民俗文化財に指定されています。
下町風俗資料館付設展示場の次は、上野桜木あたりへ。
上野桜木あたりは、台東区上野桜木2丁目にある複合商業施設。
昭和13年(1938)に建てられた三軒続きの古民家をリノベーションしたもので、平成27年(2015)3月にオープン。
施設内には、ここでしか飲むことのできない谷中ビールを提供する「谷中ビアホール」、素材と製法にこだわったブーランジェリーパティスリー「Think」、塩とオリーブオイルの専門店「おしおりーぶ」、古本や手しごと雑貨があふれる「カタテマ」、マダガスカル専門のツアーオペレーターが、バニラビーンズやカカオ豆・チョコレート、スーパーフードのバオバブやモリンガなどを販売している「ビオマダガ」といったショップの他、「みんなのざしき」や「みんなのろじ」といったコミュニティスペースもあります。
上野桜木あたりの次は、観音寺築地塀へ。
観音寺築地塀は、台東区谷中5丁目にある、国の登録有形文化財。
観音寺は明和9年(1772)の火災で灰燼に帰した後、文政年間(1818~1830)頃に再興。
境内の南面約38mにわたってのびる築地塀は、再興後に完成したものと思われ、瓦と土を交互に重ねて作った土塀に屋根瓦をふいており、寺町谷中のシンボル的な景観として、平成4年(1992)に「台東区まちかど賞」を受賞しています。
観音寺築地塀の次は、朝倉彫塑館へ。
朝倉彫塑館は、台東区谷中7丁目にある、明治から昭和にかけて活躍した彫刻家·朝倉文夫(1883~1964)のアトリエ兼住居を改装した美術館。
朝倉は、東京美術学校(現在の東京藝術大学)を卒業した明治40年(1907)に谷中にアトリエと住居を構えました。
当初は小さなものでしたが、その後、敷地を拡張し、増改築を繰り返します。
現存する建物は、大半が昭和10年(1935)の竣工で、朝倉が自ら設計し、細部にいたるまで様々な工夫を凝らしています。
彼の死後、建物は故人の遺志により、遺族によって昭和42年(1967)から公開。
昭和61年(1986)には台東区に移管され、台東区立朝倉彫塑館になりました。
その後は、平成13年(2001)に国の登録有形文化財となり、さらに平成20年(2008)には、敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定。
そして、平成21年(2009)から平成25年(2013)にかけて保存修復工事が行われ、耐震補強を実施。
建物は朝倉文夫生前の姿に近づけるべく復原され、文化財的な価値が高められました。
朝倉彫塑館の次は、谷中ぎんざへ。
谷中ぎんざは、荒川区西日暮里3丁目と台東区谷中3丁目にまたがる、全長約170mのところに、約60軒の商店が軒を並べる商店街。
もとは昭和20年(1945)頃に自然発生的に生まれた商店街で、その後、様々な商流の変化を乗り越え、近隣型の商店街として発展。
平成に入り、谷中・根津・千駄木の界隈が「谷根千」と呼ばれ注目が集まり、下町散策の中心地となりました。
そうしたことから、商店街振興組合では、平成11年(1999)に商店街の外観整備を行い、平成13年(2001)にホームページを開設。
また、平成18年(2006)に日よけの統一や袖看板の設置。
平成20年(2008)には木彫り猫の設置。
平成28年(2016)には公式キャラクター「せんちゃん」の誕生など、商店街全体のイメージ作りに注力。
その結果、平成30年(2018)の調査(閑散期)では平日約1万人、週末約1万4千人もの人が訪れるようになりました。
この数字は、平成3年(1991)の調査時が平日、休日ともに約8千人だったことから、現在は近隣の人はもとより、広域、遠方、海外からの観光客が訪れる商店街へと進化を遂げていることがわかります。
谷中ぎんざの次は、夕やけだんだんへ。
夕やけだんだんは、荒川区西日暮里3丁目にある谷中銀座商店街に通じる階段坂。
一風変わった名称は、一般公募によって命名されました。
名前のとおり、この階段からは美しい夕焼けを眺めることができます。
こんなふうに、あちこち巡って日暮里駅でお散歩は終了。
その後、有志のメンバーさんと「さくら水産 日暮里北口店」で懇親会を開いて、解散となりました。
ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。
それでは、またの機会にどうぞよろしくお願いいたします。
東京お散歩教室