目黒~学芸大学散歩 11月28日(土) | 東京散歩道

東京散歩道

「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の「第151回 目黒~学芸大学散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は目黒駅から。

 

まずは、大圓寺へ。

 

 

大圓寺は、目黒区下目黒1丁目、行人坂の中腹にある、寛永元年(1624)に創建された松林山と号する天台宗の寺院で、山手七福神の大黒天。

起源は出羽湯殿山の修験僧・大海法印が大日如来を本尊として、道場を開いたのが始まりといい、後に明和9年(1772)2月に発生した「明和の大火」または「行人坂火事」と呼ばれる大火事の火元となったことから、幕府から再建を許されず、薩摩藩主・島津斉興の帰依を得て、その菩提寺として、76年後の嘉永元年(1848)にようやく再興。

境内にある五百羅漢の石仏群は、この大火の犠牲者を供養するために建立されたものだと伝えられています。

また、大圓寺には“生身の釈迦如来”といわれている本尊「清涼寺式釈迦如来立像」(国重要文化財)をはじめ、「木造十一面観音立像」(区指定有形文化財)、「木造阿弥陀三尊像」(区指定有形文化財)、「行人坂敷石造道供養碑」(区指定有形文化財)、「目黒川架橋供養勢至菩薩石像」(区指定有形文化財)、そして、八百屋お七と吉三(西運)ゆかりのものなど、歴史的価値の高いものが、多数あることでも知られています。

 

 

大圓寺をお参りした後は、行人坂を下りて目黒川沿いを歩き、目黒通りに出て、大鳥神社へ。

 

 

途中、目黒区目黒2丁目、山手通り沿いにある老舗の和菓子屋さん「玉川屋」に寄って、おやつとお土産を調達。

 

 

大鳥神社は、目黒区下目黒3丁目に鎮座する、主祭神に日本武尊、相殿神に国常立尊と弟橘姫命を祀る目黒区内最古の神社で、目黒の総鎮守。

言い伝えによると、日本武尊の父・景行天皇(第12代天皇)の時代、当地に国常立命を祀った社があり、日本武尊が東征の折、この社に立ち寄り、東夷の平定と部下の眼病平癒を祈願したところ、霊験がたちどころに現れ、そこで日本武尊はこれに感謝し、持っていた十握剣を奉納。

この剣は「天武雲剣」と呼ばれ、当社の社宝になっています。

そして、その後、日本武尊の霊が白鳥として当地に舞い降り、鳥明神として祀られ、大同元年(806)に社殿が造営されたといいます。

また、江戸地図として古いものとされる『長禄江戸図』にも当社は「鳥明神」と記載されており、当社は江戸九社の一つに。

『江戸名所図会』には「大鳥明神社」として描かれています。

 

大鳥神社の次は、蟠龍寺へ。

 

 

蟠龍寺は、目黒区下目黒3丁目にある、霊雲山と号し、「岩屋弁天」の名でも親しまれている浄土宗の寺院。

目黒行人坂付近にあった称明院(1648年開創)を増上寺の霊雲上人が浄土宗の戒律を復興するために現在地に移し、宝永6年(1709)「霊雲山称明院蟠龍寺」と改名して再建。

次いで、寛政6年(1794)、律院となりましたが、「不許辛肉酒入山門」の結界石がその名残を今にとどめています。

本尊は「木造阿弥陀如来像」(都指定文化財)で、天明年間(1781~1789)に東都三番札所となり、善光寺式阿弥陀三尊像も祀られているほか、『江戸名所図会』に載った境内には、元禄11年(1698)建立の地蔵尊があります。

また、山手七福神の一つであり、江戸裏鬼門の鎮守として岩窟内に石像弁財天、弁天堂内には「八臂の天女像」と呼ばれる木造弁財天を安置。

他にも境内右手奥には美人になるという「おしろい地蔵」があり、このお地蔵様の顔におしろいを塗り、願掛けをする女性を今でも時折見かけます。

 

 

蟠龍寺の次は、階段坂を上って、史跡・青木昆陽墓へ。

 

 

史跡・青木昆陽墓は、目黒区下目黒3丁目、瀧泉寺墓地にある国指定史跡。

青木昆陽(1698~1769)は江戸時代中期の儒者・蘭学の先駆者で、京都の儒者・伊藤東涯に学び、幕臣・大岡忠相の知遇を得て幕府に仕え、書物方となり、後に評定所儒者・書物奉行となりました。

また、彼は8代将軍・徳川吉宗の命により蘭学を学び、長崎に遊学し、『和蘭文字略考』『和蘭貨幣考』『和蘭語訳』などを著述。

その他にも『蕃薯考』を著し、救荒作物として甘藷(さつまいも)の栽培を奨励したことから「甘藷先生」と呼ばれました。

 

 

史跡・青木昆陽墓の次は、階段坂を下りて、五百羅漢寺へ。

 

 

五百羅漢寺は、目黒区下目黒3丁目にある、天恩山と号し、釈迦牟尼仏を本尊とする浄土宗系の単立寺院(1948年黄檗宗より独立)。

開山は鉄眼道光で元禄8年(1695)に建立。

東京都指定有形文化財(彫刻)に指定されている木造釈迦三尊及び五百羅漢等像は、松雲元慶禅師が彫刻したもので、禅師は出家後、五百羅漢像の制作を発願し、各方面から浄財を受け、浅草で着工。

十余年を費やして本尊以下五百羅漢像500体以上を完成させ、五百羅漢寺に安置。

折からの羅漢信仰の波に乗って、江戸庶民の信仰を集め、「本所の五百羅漢」として親しまれましたが、その後度重なる天災地変に遭い、明治41年(1908)に目黒に移転。

現在、像は305体が残されていて、本堂と羅漢堂に安置されています。

(拝観料一般500円。境内の仏像は撮影禁止です)

 

五百羅漢寺の次は、蛸薬師成就院へ。

 

 

蛸薬師成就院は、目黒区下目黒3丁目にある、不老山と号し、薬師如来を本尊とする天台宗の寺院。

開山は天安2年(858)、慈覚大師円仁によるもので、円仁が唐から帰国する際、嵐に遭い、自らが彫った薬師如来像を海に投じ、危急を逃れることができ、その後、円仁が肥前国松浦(現在の長崎県松浦市)に赴いたとき、海中に投じた薬師像が蛸の上に乗って浮かんでいるのを発見し、像を取り戻すことができました。

そして、目黒の地に着いたときに松浦での出来事を模して、蛸に支えられた薬師如来像を彫り、これを本尊とする寺を建立。

これが成就院の由来であり、「蛸薬師」と呼ばれる所以です。

また、境内には、保科正之の生母・お静の方(徳川秀忠の側室)が息子の将来を案じて奉納した地蔵菩薩像「お静地蔵」や徳川家光が勧請した「秋葉大権現」など、初期の徳川将軍家ゆかりのものが残されています。

 

蛸薬師成就院の次は、瀧泉寺へ。

 

 

瀧泉寺は、目黒区下目黒3丁目にある、泰叡山と号し、不動明王を本尊とする天台宗の寺院。

大同3年(808)に慈覚大師円仁が下野国から比叡山に赴く途中に不動明王を安置して開創したと伝えられ、通称「目黒不動尊」の名で親しまれている関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、千葉の成田不動尊と併せて、日本三大不動の一つにあげられており、江戸時代には3代将軍・徳川家光の帰依により、堂塔伽藍の造営が行われ、以後、幕府の厚い保護を受けました。

また、五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つとして信仰を集めるほか、江戸時代後期には富くじが行われるようになり、湯島天神と谷中の感応寺と並んで「江戸の三富」と称されました。

境内の古い建物は、戦災でその大半は焼失しましたが、「前不動堂」(都指定有形文化財)と「勢至堂」(区指定文化財)は災厄を免れ、江戸時代の仏堂建築を今日に伝えています(本堂は戦災で焼けて再建後、1981年にもう一度再建)。

その他、境内には「銅造役の行者倚像」、「銅造大日如来坐像」(ともに区指定文化財)があり、仁王門左手の池近くには、「山手七福神」の恵比寿神が祀られ、裏山一体は、縄文時代から弥生時代までの遺跡が確認され、墓地には、さつまいもの栽培を広めた甘藷先生として知られる蘭学者・青木昆陽の墓(国指定史跡)があります。

また、堂宇建立の敷地を定めるに当たって、慈覚大師が所持していた法具・独鈷を投じたところから湧出した「独鈷の瀧」の流れは、数十日間の炎天旱魃が続いても涸れることなく、今日に至っているとのことです。

 

瀧泉寺の次は、林試の森公園へ。

 

 

林試の森公園は、目黒区下目黒と品川区小山台にまたがって所在する都立公園。

ここは、明治33年(1900)6月、当時の農商務省林野整理局が「目黒試験苗圃」として開設したのが始まり。

その後、林野庁所属の「林業試験場」となり、昭和53年(1978)まで使用されました。

そして、林業試験場の筑波研究学園都市への移転に伴い、跡地を整備し、「目黒公園」としての暫定開放期間を経て、平成元年(1989)6月1日、「都立林試の森公園」として開園。

開園面積は約120,762㎡(平成27年7月1日現在)で、東西に700m、南北に250mと細長い形をしています。

園内は林業試験場当時の樹木がそのまま残されており、ケヤキ・クスノキ・プラタナス・ポプラ・スズカケノキ等の巨木を見ることができるほか、ラクウショウ・カイノキ・ベニカエデ・ヒマラヤゴヨウ等の外国産樹木や、アベマキ・ハナガガシ・ニオイドロ等の珍しい木もあります。

また、会議室(展示ルーム)、デイキャンプ場(小・中学生向けの教育施設)、ジャブジャブ池、冒険広場、幼児コーナーといった施設も設けられています。

 

 

林試の森公園に着いたところで、まずはおやつタイム。

私は玉川屋で買っておいたバターどら焼きを。

お店のホームページで「はちみつを使用しふっくらと焼き上げた生地に青えんどう豆のうぐいす餡に富貴豆を入れた自家製餡と北海道産のホイップしたバターを挟んだどら焼き」とうたっているとおり、餡とバターの相性が抜群で、しつこさもなく大変美味でした。

 

 

おやつタイムの後は、園内「ラクウショウの森」で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

 

林試の森公園を抜けた後は、「羅漢寺川プロムナード」「六畝川ぷろむなあど」といった暗渠を巡って、清水稲荷神社へ。

 

 

清水稲荷神社は、目黒区目黒本町1丁目に鎮座する稲荷神社。

家内安全・商売繫盛・芸能上達・縁結びの神様として有名で、由緒は、もとは明治30年(1897)頃から、現在の東急バス駐車場のあたりにあったといわれ、その付近に真夏の旱天でも清水が湧き出ていて、この湧き水が稲荷の社名の由来と思われます。

そして、大正12年(1923)の関東大震災以後、このあたりにも多くの移住希望者があり、地主たちはその要請に応えて、計画的な土地分譲をしました。

土地分譲事業は、この稲荷をもとにし、土地の発展を祈念。

そのため、京都伏見稲荷より御霊代を拝受し、社殿や鳥居も奉納。

その後、昭和27年(1952)に篠福太郎氏が39.7㎡(12坪余)の土地を寄進し、現在地へ遷座。

また、同年、太田喜八郎氏が鷹番小学校へ寄進した御真影奉安殿を大変苦労して移築し、拝殿としました。

 

 

清水稲荷神社をお参りした後、学芸大学東口商店街を通って学芸大学駅に到着。

 

こんなふうにあちこちご案内して、お散歩は終了。

 

その後、有志のメンバーさんたちと「ガスト 学芸大学店」でサクッとマスク会食をして解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com