芝公園~田町散歩 3月21日(土) | 東京散歩道
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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の「第146回 芝公園~田町散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は芝公園駅から。

 

まずは、芝東照宮へ。

 

 

芝東照宮は、港区芝公園4丁目に鎮座する、徳川家康を御祭神として祀る神社。

日光東照宮・久能山東照宮・上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つに数えられ、もとは、増上寺の山内に元和3年(1617)に建てられた、徳川家康の寿像を祭祀する社殿「安国殿」が起源。

明治の神仏分離令により、増上寺から切り離され、芝東照宮となりました。

その後、戦災で寿像と3代将軍・徳川家光が植えたものと伝わるご神木のイチョウ以外、全てを焼失。

昭和44年(1969)に現社殿に再建されました。

 

芝東照宮の次は、首尾稲荷大明神へ。

 

 

首尾稲荷大明神は、港区芝大門2丁目に鎮座する、倉稲魂神・大宮能賣神・太田神を御祭神として祀る神社。
創建は古く、古文書によれば、難病に悩んでいた住民・田村三郎兵衛の夢枕に神様が立ち、稲荷大神の御神威によって助かったことを深く感謝。

そこで稲荷大神を勧請し「首尾稲荷」と称し、文化13年(1816)、京都伏見稲荷大社より正一位の神階を授与されたといいます。

以来、町内の守護神として崇められ、社殿は戦後、損傷が著しかったため、昭和54年(1979)に再建されました。

 

首尾稲荷大明神の次は、尾崎紅葉生誕の地へ。

 

 

尾崎紅葉生誕の地は、港区芝大門2丁目にある旧跡。

この地は『金色夜叉』などの小説で有名な作家・尾崎紅葉の生誕の地で、彼は慶応3年(1867)12月16日、芝中門前2丁目25番地(現・港区芝大門2丁目7番4号)にあった首尾稲荷神社のそばの家で、伊勢屋こと根付師の尾崎谷斎の長男として生まれ、4歳のときに母を失い、芝神明町8番地(現・港区浜松町1丁目18番14号)の母の実家・荒木家に養われることになるまで、この地に住みました。

 

尾崎紅葉生誕の地の次は、芝神明商店街へ。

 

 

芝神明商店街は港区芝大門1丁目にある商店街。

途中、商店街と芝大神宮の参道が交差する場所があり、参道の方に曲がると芝大神宮が鎮座。

辺りは、古くから増上寺や芝大神宮の門前町として栄えた場所で、オフィス街にも囲まれていることから、老舗と新しい店が混在しています。

 

芝神明商店街の次は、芝大神宮へ。

 

 

芝大神宮は、港区芝大門1丁目に鎮座する、天照皇大御神と豊受大御神の二柱を主祭神として祀る東京十社の一社。

社伝によれば、寛弘2年(1005)に伊勢の内外両宮を勧請して創建したといわれ、当初は飯倉山(現・芝公園)に鎮座していましたが、増上寺の移転に伴い、慶長3年(1598)に現在地に奉遷。

鎌倉時代は、源頼朝より社地の寄贈を受け、江戸時代は、徳川幕府の篤い保護のもと、「関東のお伊勢さま」として関東一円の庶民の信仰を集めました。

また、古くは「飯倉神明宮」、「芝神明宮」と称されていましたが、明治5年(1872)に「芝大神宮」に改称。

社殿は、昭和20年(1945)5月の空襲で旧社殿が焼失後、戦後二度にわたって造営が行われ、平成17年(2005)、鎮座1000年を祝う「芝大神宮壱千年祭」斎行の際に、社務所等の改築が完了し、現在の姿に。

例大祭は、9月16日を中心に、9月11日から21日まで、神輿渡御などの各種神事が行われますが、それらが長期間「だらだら」続くため、古来より「だらだら祭り」といわれ、期間中、生姜を授与していることから、「生姜祭り」とも呼ばれています。

 

芝大神宮の次は、芝榮太樓へ。

 

 

芝榮太樓は、芝神明商店街にある創業明治18年(1885)の榮太樓総本鋪の暖簾分けの支店。

こちらで、それぞれ気になる和菓子をおやつ&お土産用に購入。

 

 

続いて、大門駅構内にある神戸屋 大門駅店でおやつ用のパンを調達し、旧芝離宮恩賜庭園へ。

 

 

旧芝離宮恩賜庭園は、港区海岸1丁目にある、開園面積約43,175㎡を有する池泉回遊式の都立庭園で、小石川後楽園とともに、現存する最も古い大名庭園の一つ。

かつて、この地は海面でしたが、明暦(1655~1658)の頃に埋め立てられ、延宝6年(1678)、老中・大久保忠朝の邸地に。

この忠朝の上屋敷内に作庭された大名庭園「楽壽園」がもともとの起源といわれ、楽壽園には、水辺庭園特有の潮入り式の池があり、潮の干満によって景色が変化するよう工夫されていたようで(現在は淡水)、その後、数氏を経て、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷に。

さらに、明治4年(1871)には、有栖川宮家の所有になりましたが、明治8年(1875)に宮内省が買い上げ、明治9年(1876)、芝離宮となるも、大正12年(1923)の関東大震災で、迎賓館として使われていた洋館を焼失。

そして、大正13年(1924)1月に、昭和天皇御成婚記念として東京市に下賜され、同年4月に旧芝離宮恩賜庭園として一般に公開。

その後、昭和54年(1979)年6月には文化財保護法により、国の名勝に指定されました。

 

 

旧芝離宮恩賜庭園では、まず休憩スペースでおやつタイム。

 

 

そして、散策中、桜の木をバックに記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

旧芝離宮恩賜庭園の次は、竹芝ふ頭へ。

 

 

竹芝ふ頭は、港区海岸1丁目にある東京港の旅客ターミナルの一つ。

東京港の前身である江戸湊は、江戸庶民に必要な消費物資の流通拠点として大変重要な役割を果たしていましたが、東京湾の開港は昭和16年(1941)まで実現せず、築港は明治時代に隅田川口改良工事として始まり、水路の浚渫と、その浚渫土砂による月島や芝浦の埋立造成が進められました。

その後、陸上交通網が崩壊した大正12年(1923)の関東大震災を契機に、東京港の重要性が認識され、ふ頭建設が急ピッチで進み、大正14年(1925)に日の出、昭和7年(1932)に芝浦、昭和9年(1934)に竹芝ふ頭が完成。

現在の竹芝ふ頭は、延長465m、水深7.5mあり、伊豆諸島・小笠原諸島への人や物資の玄関口「竹芝客船ターミナル」になっています。

 

 

竹芝ふ頭の次は、芝浦運河の親水テラスを歩きながら、重箱堀へ。

 

 

重箱堀は、芝浦運河沿いに建設されたシーバンスS館の南側にある大正2年(1913)に作られた石積護岸。

四角い形をしていることから「重箱堀」と呼ばれるようになったといわれていますが、明治時代の芝浦はまだ東京湾に面した行楽地として賑わっていた場所で、かつては料亭や旅館が軒を連ね、明治11年(1878)には、蘭方医・鐘ヶ江晴朝が東京府知事から許可を得て、都内初の海水浴場が開設された場所でした。

 

重箱堀の次は、芝浦妙法稲荷神社へ。

 

 

芝浦妙法稲荷神社は、港区芝浦1丁目に鎮座する、御祭神仏として本佛釈尊と芝浦妙法稲荷を祀る氏神様。

創建は昭和48年(1973)8月で、もとは、かつて東京倉庫運輸株式会社の敷地内にザクロの木とともにあった祠を昭和46年(1971)、倉庫改装のため、この機に移築遷座することとなり、「芝浦妙法稲荷」と命名。

また、たまたま廃社なっていた芝浦稲荷から、社と狐2体、灯篭2基、手洗い1基などを貰い受ける話になったとき、地元住民の因縁を生かし社屋を竹芝橋稲荷と合祀することとし、芝浦全地域の氏神として復活。

竹芝橋稲荷が法華経有縁の姫神ということで、昭和57年(1982)にブロンズ製金色の釈尊座像を祀り具体的に神仏混淆を表現。

次いで昭和62年(1987)には、仏舎利も奉安されました。

 

芝浦妙法稲荷神の次は、新芝運河沿緑地へ。

 

 

新芝運河沿緑地は、埋立によって消えた自然環境を取り戻すために創出された緑地で、親水性のある構造とするため、古い埋立護岸の前に新たな護岸を整備し、水辺空間を創出。

水に親しめるよう護岸の高さをできる限り低くしたり、一部を階段式に切り下げて、震災時に小型船の船着場として活用できるようにもしています。

また、植栽やガス灯などの設置、道路と一体性のある緑地整備なども行っています。

 

新芝運河沿緑地を散策中、『リバーサイド トリオ』をチェック。

 

 

『リバーサイド トリオ』は港区芝浦1丁目、新芝運河沿緑地に設置された、野外彫刻を次々に発表している彫刻家で写真家の黒川晃彦氏によって、平成4年(1992)に制作された人物モニュメント。

私も一緒に写真を撮ってもらいました。

 

 

『リバーサイド トリオ』を鑑賞後、運河の上を駆け抜ける東京モノレールを見て、田町駅でお散歩は終了。

 

 

その後、有志のメンバーさんと居酒屋で、お腹を満たして解散。

 

大人の遠足、全行程終了となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

今コース、28日(土)・29日(日)も開催を予定しております。

 

大変な時期ですが、少しは外に出て気晴らしをしたいとお考えの健康な皆さん、よろしければ少人数での街歩き、体験してみてください。

 

よろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com