みなとみらい~日本大通り散歩 8月4日(土) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。


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お散歩ナビゲーター 小島信康です。

 

今回は8月4日(土)から始まりました

東京お散歩教室「第121回 みなとみらい~日本大通り散歩」の

初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は、みなとみらい駅から。

 

まずは、臨港パークへ。

 

 

途中、横浜市西区みなとみらい3丁目に置かれている「イカリ」をチェック。

この錨は、みなとみらいセンタービルの工事中に発掘されたもの。

かつてここには、明治24年(1891)に創業した横浜船渠があり

その後、三菱重工業横浜造船所となりましたが、昭和58年(1983)に移転し

「みなとみらい」になりました。

錨の主は、昭和20年(1945)に建造された陸軍航空母艦「山汐丸」で

造船所の歴史を伝えるため、この場所に置かれています。

 

 

臨港パークは、横浜市西区みなとみらい1丁目にある

パシフィコ横浜裏手の海岸線に広がる、横浜港を臨むみなとみらい地区最大の港湾緑地。

開園は昭和63年(1988)で、敷地面積は78,967㎡あり

園内には、芝生広場、潮入りの池、アーチ橋などのほか

『フルーツ・ツリー』というアート作品や

日本人ペルー移住100周年記念像「リマちゃん」などがあります。

 

臨港パークの次は、ぷかりさん橋へ。

 

 

ぷかりさん橋は、横浜市西区みなとみらい1丁目にある、浮桟橋を使った客船ターミナル。

正式名称は「みなとみらい桟橋・海上旅客ターミナル」で、ぷかりさん橋は通称。

浮体式のため、桟橋だけでなく建物も海上に浮いており、正確には船舶という扱い。

客船ターミナルは、1階が切符売り場と待合室

2階が海上レストラン「海鮮びすとろ ピア21」になっています。

 

ぷかりさん橋の次は、ララ物資の記念碑へ。

 

 

途中、よこはまコスモワールドの大観覧車「コスモクロック21」と

横浜ランドマークタワーの外観をチェック。

 

 

ララ物資の記念碑は、横浜市中区新港1丁目にある記念碑。

ララとはLicensed Agencies for Relief in Asiaの略で、アジア救援公認団体のこと。

ララは、戦後、日本各地で厳しい食糧危機が生じ、特に乳幼児や児童の栄養不足を救済するために

アメリカの宗教団体や社会事業団体などで構成された団体で

北中南米の在留邦人や日系人も寄付金や救援物資の募集に大きな役割を果たしました。

ララが集めた救援物資は、昭和21年(1946)11月30日に、輸送第1船が横浜港の新港埠頭に

入港したのを皮切りに、昭和27年(1952)年6月まで継続。

記念碑は、物資を寄付した人々への感謝と、物資輸送の実現に尽力した人々の功績を

後世に伝えるためのもので、平成13年(2001)4月に建立されました。

 

ララ物資の記念碑の次は、旧横浜港プラットホームへ。

 

 

旧横浜港プラットホームは、横浜市中区新港1丁目

赤レンガパーク内に復元・保存されている旧旅客ホーム。

横浜港駅は、明治44年(1911)9月1日に横浜税関構内の荷扱所として開設。

大正9年(1920)7月23日に横浜港駅に昇格し、東京駅から初の汽船連絡列車が乗り入れました。

そして、関東大震災の復興期、昭和3年(1928)にプラットホームが設けられ

海外航路時代の最盛期を迎えました。

廃駅後、ホームは短縮されながらも、赤レンガパークの休憩所として再利用。

なお、傷んでいた上屋は新材料で復元されています。

 

旧横浜港プラットホームの次は、旧税関事務所遺構へ。

 

 

旧税関事務所遺構は、横浜市中区新港1丁目、赤レンガパーク内にある建物跡。

大正3年(1914)5月に建設された税関事務所の遺構で、建物は煉瓦造りスレート葺き

3階建てのゴシック様式で、ガス暖房や電気照明も完備していましたが

大正12年(1923)9月1日の関東大震災により、床や屋根が焼失。

復旧されないまま埋め戻されて、荷捌き用地となった後、赤レンガパークの整備中に発見。

現在は、花壇として利用されています。

 

旧税関事務所遺構の次は、横浜赤レンガ倉庫へ。

 

 

横浜赤レンガ倉庫は、横浜市中区新港1丁目

赤レンガパーク内にある歴史的建造物を再生し生まれた文化・商業施設。

赤レンガ倉庫は、新港ふ頭の上屋施設として明治末期に着工。

建物は、補強材として鉄材を使用し、非常用水管・防火戸などの耐震耐火設備

荷役用エレベーターの設置など、当時の最新技術が導入された国の模範倉庫で

竣工と同時に貿易の要所として活躍しました。

しかし、大正12年(1923)9月1日の関東大震災で1号倉庫は半壊し、縮小。

戦時中は、軍事物資の補給基地となり、戦後はGHQが接収し

接収解除後、再び倉庫として利用されましたが

保税倉庫としての役割は平成元年(1989)までに終え、しばらく放置。

その後、平成4年(1992)3月に、横浜市が国から赤レンガ倉庫を取得し

屋根や外壁の補修と構造補強工事を実施し

平成14年(2002)4月、新たな文化・商業施設として「横浜赤レンガ倉庫」がオープンしました。

 

横浜赤レンガ倉庫の次は、鉄軌道と転車台へ。

 

 

鉄軌道と転車台は、横浜市中区海岸通1丁目

横浜港発祥の地であった波止場の遺構を整備して、平成21年(2009)6月2日に開園した

象の鼻パーク内にある、横浜税関の遺構。

4連の転車台(ターンテーブル)は、象の鼻パークの整備工事中に発見されたもので

鉄軌道(線路)や転車台は、概ね明治20年代後半に整備されたもの。

鉄軌道の幅員は1.06mあり、日本の一般的な鉄道の車軸幅と同じです。

一方、転車台は、鉄部の直径が約2.5mで、この大きさでは回転できる車両の規模も限られることから

発見された鉄軌道は、敷地内で荷役作業を行うために設けられたものだと考えられています。

 

鉄軌道と転車台の次は、象の鼻防波堤へ。

 

 

象の鼻防波堤は、象の鼻パーク内にある横浜港を見渡せる新たなビュースポット。

「象の鼻」の由来は、横浜港開港時につくられた2本の直線状の突堤のうち

東側の突堤が慶応3年(1867)に湾曲した形に変更されて防波堤になったことから。

現在の象の鼻防波堤は、明治中期の姿に復元されたもので

ガス灯を模した照明灯が設置されているほか、関東大震災で沈んだと考えられる

防波堤の一部を、そのままの形で保存・展示しています。

 

 

初日は象の鼻防波堤で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

象の鼻防波堤の次は、大さん橋へ。

 

 

大さん橋は、横浜市中区海岸通1丁目にある横浜港の港湾施設。

大さん橋ふ頭と横浜港大さん橋国際客船ターミナルによって構成される

国内及び外国航路の主要発着埠頭で、歴史は、明治27年(1894)に竣工した鉄桟橋に始まり

古くはメリケン波止場と呼ばれました。

現在の客船ターミナルは、6度の建設・増改築を経た7代目で

施設は、地下1階、地上2階建ての鉄骨造、建物の長さ約430m、最高高さ約15m、幅約70mあり

1階が駐車場、2階が出入国ロビー、CIQプラザ、大さん橋ホール

屋上には「くじらのせなか」と呼ばれる、眺望が素晴らしい、開放感あふれる広場があります。

 

 

「くじらのせなか」から、美しい夜景を眺めた後、開港広場公園へ。

 

 

開港広場公園は、横浜市中区山下町にある、昭和57年(1982)12月18日に開園した

「開港記念広場」とも呼ばれる都市公園。

この地は日米和親条約締結の地で、園内には「日米和親条約調印の地」と刻まれた

記念碑があるほか、公園整備中に見つかった、明治15年(1882)頃に築造されたという

煉瓦造りのマンホールと下水管の遺構が、当時のままの状態で保存されています。

 

 

こんなふうにあちこちご案内した後、昭和4年(1929)に建てられた
横浜市認定歴史的建造物「旧横浜市外電話局」をチェックして

日本大通り駅でお散歩は終了。

 

 

その後、全員で「中華 大陸食堂 関内店」で打ち上げをして、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、長時間お付き合いいただき、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願い致します。

 

東京お散歩教室

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