池袋~目白散歩 12月23日(土) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。


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お散歩ナビゲーター 小島信康です。

 

今回は12月23日(土)に開催しました東京お散歩教室

「年末企画 池袋~目白散歩」の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は池袋駅から。

 

 

まずは、池袋駅西口広場に設置されている、ふくろうキャラクター「えんちゃん」の

モザイカルチャーの前で、豊島区と梟の関係について解説してから、池袋西口公園へ。

 

 

池袋西口公園は、豊島区西池袋1丁目にある区立公園。

ここは、かつて豊島師範学校があった場所で、戦後はヤミ市ができ

その後も長い間、市場として使われていました。

公園となったのは昭和45年(1970)で、平成2年に隣接する東京芸術劇場と

一体的に再整備されました。

 

池袋西口公園の次は、元池袋史跡公園へ。

 

 

元池袋史跡公園は、豊島区西池袋1丁目にある区立公園。

かつて、弦巻川の水源で、池袋の地名のもととなった「丸池」を擁した元池袋公園が

現在の池袋デュープレックスタワーの敷地内にありましたが、下水道工事の関係で東隣に移転。

それに伴い、丸池も完全に埋められてしまいました。

しかし、池袋の地名の由来とされる丸池が存在したことを後世に残すため

平成10年に史跡公園というかたちで、再び公園が開設。

園内には「池袋地名ゆかりの池」と記された石碑が立っています。

 

元池袋史跡公園の次は、自由学園明日館へ。

 

 

自由学園明日館は、豊島区西池袋2丁目にある

学校法人自由学園が所有する建物で、国の重要文化財。

大正10年(1921)に、羽仁吉一・もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として

アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトと弟子の遠藤新の設計により

大正10年(1921)から、昭和2年(1927)にかけて建設された洋館で

軒高を低く抑えて水平線を強調した立面、幾何学的な建具の装飾は

「プレーリーハウス」と呼ばれるライト作品の意匠を象徴しており

日本に残るライト建築の特徴である大谷石が多用され

建物の基本構造が現在の2×4工法の先駆けといわれるなど

ライトの作風を示す典型的な建築となっています。

 

自由学園明日館の次は、新宿椿庵 池袋店へ。

 

 

新宿椿庵は、豊島区南池袋3丁目にある、たい焼き屋さん。

こちらで、薄焼き、厚焼き、それぞれ好みのたい焼きを買って、おやつタイム。

 

新宿椿庵の次は、中野ビルの布袋尊へ。

 

 

中野ビルの布袋尊は、豊島区南池袋2丁目にある布袋尊像。

大正6年(1917)に、親子像として制作され、中野石材商店の店頭に祀られていたもので

昭和62年(1987)に現在地に移され、平成22年に雑司が谷七福神の設置趣意に賛同し

社を造営。

親の布袋尊像の右肩は、昭和20年(1945)に、二度の空襲によって破損し

後に修復されたため、色が異なっています。

 

中野ビルの布袋尊の次は、豊島の森へ。

 

 

豊島の森は、全国初の民間高層マンションとの一体型再開発事業で完成した

豊島区役所の10階に設けられた憩いの場。

かつての豊島区の自然を再現した、水と緑の空間になっていて

植生や生態など、自然の仕組みを学ぶことができます。

 

豊島の森の次は、豊島ふくろう・みみずく資料館へ。

 

 

豊島ふくろう・みみずく資料館は、豊島区立南池袋小学校内にある、土・日のみ開館する資料館。

平成13年に、東大名誉教授・飯野徹雄氏が所蔵していた膨大な梟コレクションのうち

およそ4,000点が豊島区に寄贈され、区は南池袋小学校の一室を「豊島みみずく資料館」とし

平成16年から、飯野氏のコレクションや他からの寄贈品を200から300点ずつ、順次展示公開。

館内は、梟・みみずくの「生活」「イメージ」「かたち」といった3つのテーマで構成され

石・木・ガラス製の多彩な梟・みみずくの置物や、彫刻、玩具など

世界各国の珍しいコレクションが展示されています。

 

豊島ふくろう・みみずく資料館の次は、威光稲荷堂へ。

 

 

威光稲荷堂は、豊島区南池袋3丁目にある、法明寺が管理する稲荷堂。

慈覚大師が行脚の途中、威光稲荷大明神を祀る堂宇を建立したのが起源といい

開運スポットとして崇敬を集めています。

 

威光稲荷堂の次は、法明寺へ。

 

 

法明寺は、豊島区南池袋3丁目にある、威光山と号する日蓮宗の寺院。

弘仁元年(810)に、真言宗威光寺として開創され

正和元年(1312)に、日源が日蓮宗に改宗し、威光山法明寺と寺号を改めました。

江戸時代は徳川家光より朱印を受け、代々将軍家から尊崇され、多くの寄進を受けましたが

大正12年(1923)の関東大震災で本堂が倒壊。

再興後、昭和20年(1945)、今度は戦災によって全山焼失。

戦後再建を果たし、現在に至ります。

 

法明寺の次は、雑司が谷鬼子母神堂へ。

 

 

雑司が谷鬼子母神堂は、豊島区雑司が谷3丁目にある鬼子母神堂。

法明寺の飛地境内にあるお堂で、安産・子安の鬼子母神が本尊です。

永禄4年(1561)に、山村丹右衛門が清土(文京区目白台)の地あたりで鬼子母神像を掘り出し

東陽坊(のちに大行院と改称した後、法明寺に合併)に祀ったのが始まりとされ

天正6年(1578)に、「稲荷の森」と呼ばれていたこの地に、村の人々が堂宇を建立。

平成28年に重要文化財に指定された現在のお堂は、本殿は、寛文4年(1664)に

加賀藩主前田利常の息女で、安芸広島藩主浅野光晟に嫁いだ自昌院の寄進によって造営。

拝殿と幣殿(相の間)は、元禄13年(1700)に建てられました。

 

 

また、鬼子母神堂の境内には、天明元年(1781)創業という

超老舗の駄菓子屋「上川口屋」があり、みんなで色んな駄菓子を買って

懐かしさに浸りながら、見せ合いっこをしました。

 

雑司が谷鬼子母神堂の次は、雑司が谷案内処へ。

 

 

雑司が谷案内処は、豊島区雑司が谷3丁目にある

雑司が谷の観光案内や地域交流の拠点施設。

平成22年に、並木ハウスアネックス内に開設された施設で

1階が案内コーナー、2階は展示ギャラリーになっています。

 

 

雑司が谷案内処に立ち寄った後、記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

記念写真の後、続いて、富士見坂&日無坂へ。

 

 

日無坂(写真左)は、文京区の西端と豊島区との境にある坂道。

最上部で富士見坂に合流します。

江戸時代からあり、樹木が生い茂り、日中でも日が当たらなかったことから

日無坂と名付けられました。

 

日無坂の次は、高田氷川神社へ。

 

 

高田氷川神社は、豊島区高田2丁目に鎮座する

素戔嗚尊・奇稲田姫命・大己貴命を御祭神として祀る神社。

創建は、貞観年間(859~877)に武蔵国一宮の氷川神社の御分霊を鎮祭したと伝えられ

六歌仙の一人として有名な在原業平も参拝したといわれています。

また、江戸時代は氷川大明神と称され、下高田村の総鎮守として信仰を集めました。

 

高田氷川神社の次は、金乗院へ。

 

 

金乗院は、豊島区高田2丁目にある、神霊山と号する真言宗豊山派の寺院。

創建は、僧・永順が天正年間(1573~1592)に本尊である聖観世音菩薩を勧進し

観音堂を建てたのが起源といい、当初は「蓮花山金乗院」と称し、中野宝仙寺の末寺でしたが

後に「神霊山金乗院慈眼寺」と改め、護国寺の末寺となりました。

また、境内には、江戸五色不動の一つ「目白不動尊」があり

「目白不動明王」と呼ばれる本尊の不動明王像が、不動堂内に祀られています。

 

金乗院の次は、のぞき坂へ。

 

 

のぞき坂は、豊島区高田2丁目にある坂道。

恐る恐る下をのぞき見るほどの急坂で、別名「胸突坂」ともいわれています。

 

こんなふうにあちこちご案内して、目白駅でお散歩は終了。

 

 

そして、ご希望されたメンバーさんと居酒屋で打ち上げ。

 

 

大いに盛り上がり、店を出たところで、もう一度記念写真を撮って、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、長時間お付き合いいただき、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願い致します。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com

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