イメージ 1こちらのお社は山形は高畠町にある「犬の宮」さんでございます。
 
犬の神様として、また安産祈願として祀られております。
 
お堂の中には亡くなった愛犬の写真やら首輪なども愛犬家によって奉納されております。
 
「チンは高安犬としての純血を保っていた最後の犬だった」の書きだしで始まる『高安犬物語』(動物作家:戸川幸夫氏)の直木賞受賞作の舞台になったところで、安産と無病息災の神としても知られ、犬をまつっている社としては全国でも珍しく愛犬の健康と供養に訪れる人も多い。

<由来>

 和銅年間(708年~714年)都から役人が来て村人を集め「この里は昔から年貢も納めず田畑を作っていたが、今年から年貢のかわりに毎年、春と秋には子供を差し出すように」といい、村では大変悲しみ困っていた。
 ある年、文殊堂帰りの座頭が道に迷い、一夜の宿を頼んだところが、今年の人年貢を差し出す家だった。

 ある夜、役人が現れ、ご馳走を食べながら「甲斐の国の三毛犬、四毛犬にこのことを知らせるな」と何回も念を押して帰るのを耳にした座頭は甲斐の国に使いをやり、三毛犬と四毛犬を借りてこさせ、いろいろ知恵を授け村を去った。

 村人は早速役人を酒席に招き、酔いが回ったところに、2匹の犬を放ったところ大乱闘になった。あたりが静まり返った頃おそるおそる座敷を覗いてみると、血の海の中に子牛のような大狸が2匹と多数の荒狸が折り重なって死んでいた。そばには三毛犬、四毛犬も息絶え絶えに横たわっていた。村人は必死に手当をしたが、とうとう犬は死んでしまった。

 この村を救った犬を村の鎮守とせよとのお告げにより、まつったのが現在の犬の宮といわれている。
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現地にも謂れが記されております。   ⇒
 
この近くには有名な「亀岡文殊」がございます。
 
ここで疑問が!?
 
この伝説の和銅年間(708年~714年)には文殊堂は無かった筈なのです。
 
この寺は、807年大同2年)勅命により徳一が文殊菩薩を安置したのに始まると伝えられ、古くは文殊寺と号していた。
和銅年間はようやく出羽の国が制定された頃。その約百年後に現在の「亀岡文殊」が作られました。
 
ですから和銅年間に、文殊堂帰りに道に迷った座頭・・・というのは辻褄があわないのですが!?
 
別にアヤを付けている訳じゃありませんが。。。
 
そして、すぐ近くにある「猫の宮」さん
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猫の宮由来記     ↑ ↑
 
実はこの由来記はかなりハショってます。
 
最初の三行などハショりすぎ!
 
「延暦・・・この村には信心深い庄屋夫婦がいた。二人には子供がなく丈夫な猫が授かるよう祈っていた。」
 
この庄屋夫婦は猫を産みたかったのかww
 
正しい由来はこちら
延暦年間(781年~805年)高安村に代々庄屋で信仰深い庄右衛門とおみね夫婦が住んでいた。二人には子供がなく、猫を心から可愛がっていたが、なぜか次々と病死してしまう。今度こそ丈夫な猫が授かるようにと祈っていた。ある夜、同じ夢枕に観音菩薩が現れ「猫を授けるから大事に育てよ。」とのお告げがあり、翌朝庭に三毛猫が現れ、夫婦は大いに喜び、玉と名付けそれはそれは子供のように大切に育てていた。
 玉も夫婦にますますなつき、そして村中のネズミをとるのでたいそう可愛がられていた。
 玉は不思議なことに、おみねの行くところどこへでも付いていった。寝起きはもちろんの事、特に便所へいくと、天井をにらみ今にも飛び掛からんばかりに耳を横にしてうなっている。おみねは気持ちが悪く思い、夫にそのことを話してみた。
 夫が妻の姿をして便所に行くとやはり、玉は同じ素振りをする。庄右衛門はいよいよあやしく思い、隠し持っていた刀で猫の首を振り落とした瞬間、首は宙を飛び屋根裏にひそんでいた大蛇にかみついた。
 この大蛇は、70数年前に三毛犬、四毛犬に殺された古狸の恐念の血をなめた大蛇が、いつかいつの日か仕返しをしようとねらっていたが、玉が守っているため手出しできなかったのだった。
 この事を知った夫婦は大いにくやみ村人にこの事を伝え、村の安泰を守ってくれた猫のなきがらを手厚く葬り、堂を建て春秋二回の供養を行ったという。
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なるほど、話の脈絡がようやくわかりました^^
 
怖くて、夜の便所に猫同伴で行けませんっ。
 
「犬の宮」伝説も怖いですが、現代でも「大狸」「荒狸」「古狸」が日本の国を牛耳ってますからなぁ。
 
三毛犬さんや四毛犬さん現れないでしようかねぇww
 
こちらのすぐ傍にある「たこ杉」  ⇒
 
確かに根っ子付近が蛸のようです^^
 
樹齢千年だそうです。
 
まぁ、愛犬家や愛猫家は必見の神社様でございますよん。  うんうん。