歌を抜粋してみました。鑑賞・評などと大それたものでは無く
私なりに選ばせていただいた理由を少々記させていただきます。(☆新仮名遣い希望者)
業務用パソコンを購ひ挑みたる試行試行の日々はたちまち
「下版のゲラに」と題された30首詠の一首。
冬雷誌編集用に業務用パソコンを導入した作者。
「挑みたる」の語に、当初はそのノウハウを充分に持ち合わせていなかった
事が想像される。
その格闘も試行錯誤では無く「試行試行の日々」という。
「錯誤」とは表せずあくまでも「試行」の連続であるという前向きな姿勢に
現在の結社誌の姿がある。
夏野菜色艶の良し作り手の安否問はずに大き実を受く
「二〇一八年の夏に」と題された30首詠の一首。
色艶の良い夏野菜を手に取る作者。
ふと、その作り手の事が頭によぎったようだ。
その野菜の生産者の今現在の安否も含めて何も一切知らない消費者で
あるという立場。
確かな事は「大き実を受く」という果報を、今、しっかりと得ているという事だ。
一つの野菜との確かな出会い。
そこから発展させて育てた生産者への敬意と感謝が、この一首に表されて
いるように感じられた。
梅雨明けに続く夏日の九日目暦は未だ七月三日
「梅雨明けに続く夏日の九日目」と、続く猛暑に半ばぐったりといった
感じであろうか。
そして作者は「暦は未だ七月三日」と気が付いた。
例年ならば、まだ梅雨の盛りの頃合い。
作者は今年の異常気象を改めて感じた模様だ。
魂の重量思う迫りくる大きな波にすいと乗るとき
(連作より)海でカヤックを操る作者。
カヤックとは、足を前方に投げだすようにして座るカヌーのようだ。
そのカヌーが大波に乗って海面を上昇する時、「魂の重量思う」に至った。
波間にカヤックごと、いとも簡単に持ち上げられる作者の身体。
大自然の前は、「人の生命のなんと危い事であろうか」との思いであろうか。
「すいと乗るとき」の「すい」に、臨場感がある。
後遺症の耳鳴り止まぬ五年間連続三日消えて静寂
何らかの後遺症に、この五年間ずっと耳鳴りに悩まされてきた作者。
ある時その耳鳴りが三日間あまりずっと消えて静寂になったという。
結句「消えて静寂」に想像される作者の驚きと感動。
作者のその静寂がずっと続く事を願う。
