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こんにちはマダムサトコです。 本日は亭主元気で留守がいい の期限が聖書だった?!というお話をしたいと思います。

 

本日は 創世記23章1節から読んでいきましょう。

サラの一生、 サラが生きた年数は127年であった。

 

 

今で考えるとすごく長寿ですね。127歳です。 現在で記録に残っている世界で最も長生きした人は122歳のフランス人ということです。 日本国内では2022年に119歳で亡くなった 田中さんが最長寿ということですので、 サラの一生 というのは その人たちよりももっと長く生きたということですね。

 

ただ 実際のところを考えると、 例えば 栄養事情とか食料事情とか、また住居 気候などの環境を考えると 127年 本当に生きていたかどうかというのはもちろんわかりません。 もしかしたら 現在とカレンダーが違うかもしれませんよね。 現在の基準で言えば 12ヶ月で1年なんですけれども それが現在の9ヶ月程度の日時で1年という風に計算していた、などということであれば この127年というのももっと短くなりますね。

 

私たちには それは分かりませんけども、とにかくサラが生きた年数はかなり長寿であったということが ここからわかります。 またサラは90歳の時に イサクを生んでおりますので、 イサクの年齢が現在37歳であったということもここからわかりますね。

 

2節 サラはカナンの地のキルヤテ・アルバ、 すなわち ハブロンで死んだ。アブラハムは来てサラのために 嘆き、鳴いた。

 



ここハブロンとなってますけれども これ ヘブロンの間違いですね。 まあ 聖書がそうなってるのでそのままにしておきますけれども、 

 

ヘブロンの場所というのは 現在のガザ地区から東へ 60キロほど行ったところのようですね。

 

 

 アブラハムが住んでいたと書かれているベール シェバ からは 北東 40キロのところにあります。 この ヘブロンというのは 創世記の13章で一度出てきています。 ちょうど アブラハムが親戚であるロトと「別れて暮らそう」とそのように提案した時にアブラハムは 天幕をこの ヘブロン こちらへ移し そこに 主のための祭壇を築いた

 

 

この 初めて アブラハムが作った祭壇があるところが この ヘブロン なんですね。

 

アブラハムは来て嘆き 泣いたとあります。 ここから考えると夫婦は この年になって別居してたのかな?というような考え も浮かびます。 まあ アブラハムにしろサラにしろ、 すでにイサクという 跡取りが生まれておりますし、 アブラハムはサラには妻にだけ ED 

 

 

 

 

という状況でしたので、「嫁さんは嫁さん。 仕事があるから 俺は別のところに住むさ」と言った方が気が楽だったのかもしれませんね。 そしてサラが死んだと聞いて この ヘブロンにやってきたということですね。 夫婦として生きる 中でいろいろあったにせよ、 妻の死に目に会えなかったアブラハム。また色々あった にせよ 妻が死去したことについては嘆き 泣いた。

文字では通り一辺には書いてないんですけれども、結構 細かく心理描写してあるなあと思います。

 

3節 それから アブラハムは、その死者のそばから立ち上がり、 ヘテ 人たちに告げて言った。

 

 

この ヘブロンという町はアブラハムが最初に神様のために 祭壇を築いた場所なんですけれども、 その辺りにはすでに原住民が住んでいました。 彼らの名前が ヘテ人であるということが ここからわかりますね。 つまり サラはいわゆる 外国人居住者として、そこに何年かは分かりません けれども、 滞在しており そこでなくなったということが ここから伺えます。

 

4節 「私はあなた方の中に居留している 異国人ですが、 あなた方のところで私有の墓地を私に譲っていただきたい。 そうすれば私のところから移して、死んだものを葬ることができるからです。」

 

 

ここでアブラハムは「土地を購入したい」という 交渉をこのヘテ人にしていますね。 この土地は神様がアブラハムにあげるよと言った土地ではありますけれども、 さすがに 他の民族が住んでいるところで勝手なことをするわけにはいかないなと思って このような申し出をしたのでしょうか。

 

もしくは 墓地 というのは 牧草地と違って、 それこそ 牛や ヤギが踏んだり うんちをしたりというような土地には埋めたくないので、 そこら辺ではなく ”墓地”という場所に埋めるのが死者に対して最大の敬意を払う 儀式だった。そういうことがあったかもしれませんね。

 

本日は アブラハムがなんだかんだ ありながらも長年連れ添った妻を亡くしたというシーンです。

 

昭和の時代には亭主元気で留守がいいというような、「 慣れ合ってしまった夫婦はお互い 適当にやってるんだけども離れている方が快適だよね」 というようなキャッチフレーズみたいなものがありましたけれども、 それは昭和に日本でできた言葉ではなく実はこの聖書の時代から すでにあったということですね。 

 

もしくはそのキャッチフレーズを考えた人は 聖書を読んでいて、 このシーンからその言葉を思い浮かべたかもしれませんね。

 

またこの当時でも死者に対しては 民族とか宗教とか分け隔てなく 「葬る」 という習慣があったということも分かりますね。 このお墓という概念は非常に面白くて、世界中 いろんなところに 私も 添乗員として行きましたけれども、 お墓というのは必ずこの 「囲った場所」 「決まった場所」に限定してこの埋めたり もしくは火葬した後に埋めるとか、そういった行為が世界中で行われています。 決して「そこら辺に埋める」っていうことはありません。

 

現在では「後々の子孫の墓参りの手間を憂いて散骨」という方法も あったりしますね。 それは「子孫がお墓参りする必要がないように」ということになってはいますけれども、 このお墓というのは また自分のルーツを知るための手段でもあるんですね。

 

またアブラハムのように自分たちの民族の祖はサラから始まったという軌跡、歴史を残すという意味でもお墓というのを用意したんだと思います。

 

そう思うと現在の主流かどうか分かりません けれども、 非常に多くの人が選択肢としている散骨や 永代供養と言ってお墓を建てないということが本当に子孫のためになるのか?というのは また 話が別 かなという気がします。

 

ということで 本日の箇所が面白かった 興味が持てたという方はアメブロでのフォロー、youtoubeでの 高評価チャンネル登録 お知り合いへの拡散をよろしくお願いいたします。その他インスタグラムやツイッターなども行っておりますので覗いていただけると嬉しいです。

 

それでは今日はここまでです。ご視聴誠にありがとうございました。 

 

 

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