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こんにちはマダムサトコです。
本日は 創世記2章18節から20節までを読んでいきましょう。
新改訳聖書より引用しております-----
その後、神である主は仰せられた
人が一人でいるのはよくない 私は彼のために彼にふさわしい 助け手を作ろう。
神である主は土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造り、それにどんな名を彼がつけるか見るために、人のところに連れて来られた。人が生き物につける名はみな、それがその名となった。
人はすべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけた。しかし人には、ふさわしい助け手が見つからなかった。
引用はここまでです------
少し前に戻りますけれども、聖書で人間が作られた際に神は我々に似たものを作ろうとおっしゃっておられます。
キリスト教と日本ではそういう風に呼ばれていますけれども、 この聖書の神様というのは唯一神であることは 皆さんよくご存じだと思います。
その唯一神 がなぜ ご自身を我々と呼んだかというところに この聖書の面白い点があります。
それは主が人間を男と女に作られた主は、
一人であっても 主によく似たものが複数 作られたということで、
我々とご自身を呼んでおられます。
そして人が一人でいるのはよくないとされて、 もう一人をふさわしい 助け手を作っておられます。
それはちょうど人間という神に似たものではありますけども、神ではない神のように 完全ではない。 人間の不足な点を埋めてくれる ふさわしい 助け手ということです。
人間はここ20年ほどは 非婚化と言って素直に結婚しない、人と関わりを持ちたくない、 生涯独身という人が増えてきました。
この2000年に入ってからは、様々な価値観が私たちを翻弄してきました。
そして結婚という人生の中でも非常に大きなパートから「私は向いていない 私はその面倒が嫌だ」と回避する人も増えてきたというのが実情 かもしれません。
この聖書箇所に神は「人が一人でいるのは良くない」とおっしゃっておられます。
人間は神の痕跡を受け継ぐ 生き物ですから、現在「私は独身でいいや、私はこれでいいや」と思っている中でも、本当は一人でいるのは良くないということは 皆さんもしかしたら ご存知かもしれません。
この80年ほどは、一人暮らしをしない 結婚する理由として、
老後が寂しいから かもしれない
年をとって働けなくなった時に、子供に面倒を見てもらいたい
そのような 自分自身の将来の不安を全面として結婚ということが行われてきたかもしれません。
また、経済的に2人で働いた方がより良い生活が送れるという点から結婚ということが行われたかもしれません。
しかし、本来 結婚というのは、人が一人でいるのは良くない。ふさわしい 助け出を与える
というものが神様の結婚の意味でした。
この結婚が名誉地位 または 経済的な理由だけで決められたりすることも この70年だけじゃないですけれどもね 長く人間の歴史の中では行われてきました。
人によっては 自由意志で結婚相手を決めることなく、何かの理由があって結婚という形で人間関係を成立させるようなこともあったかもしれません。
またこのふさわしい 助け手 というのは 社会的地位や経済的な理由ではなく
主がこの人のために
と決めた相手であるということも私たちにとっては大きな意味があります。
私の例で言いますと、私の夫も聖書を読む者です。
私たちは、様々な日常会話がありますけれども、多くが異教徒によって主の御心を歪むような情報にさらされておりますので、お互い
主はなんと言っておられるのか
目に見えるところではなく、信仰によって歩むのではないか
信じて祈れば山でさえこの海に飛び込むのだ
そのような、聖書の言葉を以って、私たち 弱い人間がブレやすい 心を整えるということをしています。
それらを踏まえて、 この年になって 私は結婚というのは「経済的理由、名誉的理由等ではなく、お互いが共通の言葉を持っていること」だと思います。
それは日本語か英語 かという 言語の話ではなく、一つの共通理解のことです。
私たちで言う 「聖書を読んでいる者同士 か」ということが大切なのかもしれないなと思います
滅多にないんですけれども、 何かしら 言い争いになった時にも、聖書の言葉を出して「その考えは自分が勝手に考えたことではないのか 聖書ではこう言ってる」として 喧嘩が収まることもあります。
そもそも人間の争い というのは、勝手な一方の勝手な意見を押し付けてくるというところから始まると思うんですけれども、そういった関係ではなく、共通した言葉と理解、私たちで言う 聖書に基づいて、ことを行う行おうとするということが人間関係が荒れず、お互いが 共通した理解を持って前に進む 行動ができるのだと思います。
また 現在、結婚 上での人間関係に悩んでおられる方、相手に聖書を読めとか教会に行けとか言えないわ という方は、まずご自身から聖書に触れてみるのもいいと思います。
そして、相手の言っていることが、完全に自分の思い込みや、世間の溢れんばかりの情報に流されて、何かを言っているということが分かれば、
あなたは神様という 柱を持って相手に何かを提言していく。 二人で前に進んでいくということが まず 片方からあなたから始められるかもしれません。
それでは今日はここまでです ご視聴 誠にありがとうございました
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