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こんにちはマダムサトコです。今日は聖書の創世記1章31節から2章4節までを読んでみましょう。

 

新改訳聖書より引用しております-----------


そのようにして神はお作りになったすべてのものをご覧になった。それは非常によかった。

 

こうして夕があり、朝があった。

 

第6日。


こうして天と地とそのすべての万象が完成された。それで神は第7日目になさった技の完成を告げられた。


こうして第7日目になさった全ての技を休まれた。

 

神はこの第7日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それはその日に神がなさったすべての創造の技を休まれたからである。

 

引用はここまでです------



神様は第一日目から第5日まで、5日目までそれぞれ作られたものを見てよしとされました。

 

そして第6日目にはみよ、それは非常に良かったとあり、神様の喜びが最高点に達していて、この上ない喜びに満ち溢れているのがわかります。


そして7日目。


神様の天地創造の働きが完成します。神様はこの完成を祝福して第7日目を聖なるものとされました。


聖なるものというのはどういう意味かというと、他のものから区別されて神のものになるという意味です。

例えば。今このチャンネルの一番身近な書物である聖書というものは、日本語では聖なるものですけれども、それは他の書物とは違う神の書物ということです。


つまりこの日を聖であるとされたというのは、他の日と区別して神の日になったという意味です。


そしてそれを後に安息日として私たちに休めということで制定されています。


また「神が休まれた」という一節がありますけれども、これは疲れて肉体的に休んだという意味ではありません。


神の創造が完成したので、作り上げる作り出す活動をお休みになられたという意味です。


ここの中で見ていて面白いなと思うのは、神様が自分の作ったものに非常に満足しておられるという点です。


私たちは「楽しいこと興味のあること」と聞くと、全て自分の外側にある、例えば流行りのクラブ、人が集まるところに行ったり、有名な製品のショッピングをするということを私たちは思い浮かべがちなんですけれども、


本当の楽しみというのは、自分の内側から溢れてくる想像のみである

 

 

ということが、この箇所から読み取れると私は思います。


そして自分の内側からあふれる好奇心を全て満たした時に、よかった自分の思う通りのものができた、ということで手を休めた。そういう姿もこの箇所から読み取ることができます。


私はこの箇所の、本当の喜びというのは「自分の内側から湧き上がるものを形にしていくという点である」と思っています。


私も20年ほど社会で働いていたときに、自分の与えられた賜物を用いて仕事をする時には、非常に多くの新しい創造とまたをれを行ってみて、お客さんに喜ばれたりして自分の創造がこれでよかったんだと満足することもかなり多くありました。


また、私は子供の頃から人と一緒に外に出かけたり、クラブでお酒を飲んで踊ったりというようなことよりも、家の中で本を読んでそれを文字に書き出すということが非常に好きでした。


本を読んでではなく、自分の思うこと自分の感じることを文字にするのも非常に好きでした。

人間の目から見ると、友達と外に出かけたりしないのは非社交的な性格という形で言われがちなんですけれども、私は聖書のこの箇所を読んで


ああ私は、非社交的な性格という他人の基準に合わせる必要はない。私は私の内側から溢れ出てくるものを、自分で表現する文字で表現するということで、自分の内側の想像を表に出すという楽しみと、そして完成の喜びがあったのだなということを学びました。


この十年は逆に、そのような創造的な活動からは距離を置いています。体調の問題などもあったことは事実ですけれども、この十年自分が何も創造の技をしていないということに、実は昨年の半ばあたりに気がついた次第です。


そしてああ私は社会復帰をしたい。社会復帰をして私に与えられた様々なものを用いて活動を行い、自分の内側からあふれてくる創造を私ができる方法で表現したいと強く思うようになりました。


この聖書箇所は覇気や、また体調ですね。肉体的な事故をしたり怪我したり、病気をしたり。そういった不調から少し社会から距離を置いている人が、再び復活したいと思う時に後押しになってくれる聖書の言葉だと私は思っています。


そしてもう一つ大事な箇所が、神は7日目にすべての技を休まれたという箇所です。


一般的には第7日目。日曜日ですね。今のカレンダーで言う日曜日がお休みにあたります。

日曜日には本来であれば買い物に行ったりするのではなく、心を休め神様の前に出る日とクリスチャンは考えています。

現在では多くの人が日曜日に家族連れでどこか行くというライフスタイルを持っている方も多いと思いますけれども、まあ外出するとやっぱり疲れますよね。

 

ですので、ライフスタイルはご家族それぞれで良いと思いますけれども、本来であれば、1週間の疲れを取るためのお休みであればいいんじゃないかなと思います。

 

そして私の場合、この十年間が長い夏休み、長い人生の夏休み。創造の技を休んでいた期間だったなと思います。


十年とはずいぶん長い夏休みだなと皆さん思われると思いますけれども、実際に十年夏休みで過ごしてみて今。

 

私の中の様々なものが整えられ、再度復帰しようと思えるようになったことを顧みると、

この休みは私にとって大事な、肉体的また精神的な休みだったんだろうなと思えます。


そしてその休みの間にも、私が困らないように苦しまないように神様が守っていてくれたんだなということを改めて知ります。

今後は私は再度社会に復帰し、再び私の賜物を用いて様々な創造を行い、自分の内側から出てきたものを形で目に見える形で見て、ああ素晴らしいものができた、と言える人生に戻りたいと思っています。

 

 

それでは、今日はここまでにします。ご視聴誠にありがとうございました。

 

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