押しが弱い二聖の街(益田市) | 日本一周(分割)自転車紀行

日本一周(分割)自転車紀行

2010年、MR4F(折りたたみ自転車)で突然西へ。
東海道、山陽道、山陰道を駆ける。

そして2年後、再び自転車に跨る…

ただし、自転車走行ではなく自転車旅行。
観光も食事も目的だし、宿泊はホテル。
普段は自転車に乗らない。

これでも日本一周できる…のか?


翌2010年10月7日。
ネットカフェを出て国道191号を東へ向かう。


高津川手前の交差点には
「万葉公園」の標識が見える。

この名には反応せざるをえない。


万葉といえば万葉集。

おそらく途中の看板にあった
柿本人麻呂にゆかりがあるものだろう。


さっそく右折して南下すると、
すぐ正面に広い公園が見えてくる。

万葉公園はかなり広大な敷地を持った公園。

公園内は大きくと分けると
ふたつの性格を持っている。


ひとつは子どもなどが利用する
市民の公園。

遊技場もあるしバスケットゴールなどもある。
奥にはオートキャンプ場もある。

平日の昼間だけあってあまり人はいないが、
週末などには近隣の人で賑わうのだろう。


もうひとつは柿本人麻呂。

柿本人麻呂は飛鳥時代の歌人で、
現存する最古の歌集「万葉集」における第一の歌人。

もっとも有名な句は百人一首にある、
「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
ながながし夜を ひとりかも寝む」だろう。

益田市西部の戸田で生まれ、
ここ高津で終焉を迎えたのだという。


「人麻呂展望広場」には、
柿本人麻呂が詠んだ歌碑がいくつも置かれている。

歌碑なので特に解説があるわけではない。


歌を眺め意味を考えるが、
ほとんど分からない。

まあ、雰囲気を楽しむものだろうか。


隣の「まほろばの園」はいわば日本庭園。

平安時代の風習「曲水の宴」をイメージしたもので、
石で仕切ることで曲水を生み出している。

といっても水が流れているわけではない。


東へ行くと「石の広場」がある。

石への信仰が強かった当時の名残で、
石と木々が置かれている。


石を詠んだ大伴家持の歌碑もある。

ただ、歌自体は見たことがないもので、
相変わらず解説もない。


「万葉植物園」には万葉集に詠まれた植物が
歌板とともに紹介されている。

これはなかなか新しく試みは面白い。


ただしやはり解説はなく、
歌で詠まれている名称と現在の名称が違うものも多い。

何がどう対応しているのかがわからないのは
残念としか言いようがない。


東端にある「柿本神社」には
柿本人麻呂の銅像がある。

百人一首にあるような座っている絵だ。

「石見のや 高角山の木の際より 
我が振る袖を 妹見つらむか」
という歌板もある。


これは確か人麻呂展望広場にもあった歌だ。

当地を詠んだ歌として、
ここ益田では代表的な歌なのだろう。


ここ万葉公園は思っていた以上に
万葉集の世界を描いた公園になっている。

僕は和歌といっても百人一首くらいしか知らないし、
特に興味が有るわけではない。

それでも興味深く楽しめた。

それだけに解説がないのは勿体ない限りだ。


「解説を書いたパンフレットを配ればいいのに」
そう思わざるをえない。

ひょっとしたら配っているのかもしれないが、
僕は手にすることはできなかった。

残念な限りだ。


万葉公園を出て国道191号に戻ると、
すぐに高津川に差し掛かる。

「日本一きれいな川」の看板が見える。

覗き込んでみると確かにきれいな気はするが、
それほどではないようにも見える。


ここは下流部分で川幅も広い。

ゆえに橋も高いところに設置されており、
残念ながらここでは清流をまったく実感できない。

上流の方に行けば相当きれいなのだろうか。


高津川を越え、益田駅前へ。

山陰に入ってからというもの、
駅を見かけると駅舎に入って様子を見るのが癖になってきた。

益田駅には別に用もなく寄る必要もないが、
いつも通り駅舎の中を覗く。


益田駅は駅員もちゃんといる普通の地方駅。

それもそのはず。

山陰本線だけでなく
新山口駅へと向かう山口線も走っているターミナル駅だ。


そして例の山陰本線。

路線図と時刻表を見ると分かるが、
山陰本線は同じ路線の中でも区間によって別けられている。


下関駅から長門市駅でひと区間、
長門市駅から益田駅がまたひと区間。

一本ではつながっておらず、
それぞれが別々の路線のようになっている。


つまり、益田駅から下関駅に行く電車はなく、
すべて長門市駅止まり。

下関駅に向かうには
長門市駅で乗り換えなくてはいけない。

逆もまた然りだ。


一方、益田駅から東の区間は、
出雲市駅まで伸びている。

要するに島根県西部区間ということだろう。


本数はだいぶ増えている。

米子駅や鳥取駅にまで行く快速や特急もあり1日21本。
西側の長門市駅間の倍以上である。


実際、長門からここまで、
駅にはほとんど人がいなかった。

途中には萩もあるのだが、
普段電車を使っている人はほとんどいないのだろう。


ここでの常識は、
ほとんどが自分の常識外のもの。

駅を見るだけでいろいろと興味深い。


益田駅を出ると少し北に戻る。

中吉田の交差点で、
国道191号は国道9号と文字通り交差している。


ここまで山陰の海沿いを走ってきた国道191号だが、
益田市からは山間部を進み広島へと続いている。

一方、山口線と並んで小郡から来た国道9号が、
ここからは国道191号に代わって海沿いへと向かっている。

ここはもちろん国道9号へ。
山陰の海沿いへと向かう。


国道9号を北東に進むと、
すぐに「雪舟の郷記念館」の小さな看板が見える。

途中の看板にあったように、
益田市は柿本人麻呂と雪舟の町。

歌聖と呼ばれた柿本人麻呂に続くもうひとりの聖、
画聖・雪舟の登場だ。


雪舟といえば日本における水墨画の祖。

何点もの作品が国宝に指定されるなど人気が高く、
画聖と呼ばれている。

何でも若い頃は大内氏の庇護を受け、
晩年には親交のあった益田氏のもとで過ごしたのだという。


そして亡くなった地こそが、
ここにある「大喜庵」。

敷地内には「画聖雪舟禅師終焉地碑」が建てられている。


雪舟の墓もある。

決して立派とは言えない質素なものだが、
それゆえに逆に存在感がある。


大喜庵の隣にあるのが「雪舟の郷記念館」。
ここには雪舟の銅像も建てられている。

記念館内は…300円ではあるが料金がかかるので入らず、
やむなく周囲を歩く。

実はもう金銭的に余裕がまったく無い。
明らかに萩で使い過ぎた。


どうやら益田市内には、
ここ以外にも雪舟関連の地があるようだ。

南西にある萬福寺や医光寺には、
雪舟の手がけた庭園がある。


柿本人麻呂と雪舟の町。

まったく聞いたことはなかったが、
来てみて初めて納得である。


ただ、そういう割には
それほど押してはいない。

駅前では特に案内も見かけなかったし、
ここに来る途中の看板もかなり小さい。

僕は自転車だから立ち寄ることができたが、
車だったら気付かずに通りすぎてしまうだろう。

それこそ町をあげてアピールすれば、
もっと益田の名も有名になると思うのだが…。


何だか山陰を走っていると、
いろいろ考えされられることが多い。

「もっとどうにかできるのではないか」
そう思ってしまう。

-----------------------------------------
2010年10月7日

益田駅周辺(益田市)
走行距離:約9km(google map)

■押しが弱い二聖の街
(益田市)