昨日、ブログにジャーナリストの山本美香さんの死について書きましたが、本日の東京新聞にも山本さんに関する社説が載りました。心を打つ内容だったので、ここに紹介させて頂きます。
「邦人記者の死 最前線で伝えた勇気」
内戦状態となったシリアで、ジャーナリストの山本美香さん(45)が戦闘に巻き込まれ死亡した。死と隣り合う最前線に立ち、何が起こっているのか伝えようとしてきた勇気に哀悼の意を表したい。
紛争地で何が起こっているのか。その真実を伝えるために山本さんは、映像にこだわった。
「現場の生のものを見てほしい」と日ごろから考えていた。
イラク戦争報道でボーン・上田記念国際記者賞特別賞を受賞、本紙特報面などでアフガニスタンやイラクの報告を寄せてくれた。
撮影するには命を危険にさらすことになる。冷静に安全を確保しながら現場に肉薄する。山本さんは政府軍と反体制派の戦闘を取材中だった。激しい戦闘に一歩でも深く迫ろうとしていたのだろう。覚悟の取材だったに違いない。
シリアは内戦状態に入り、死者は二万人を超えた。十五万人の難民が国外に逃れている。
だが国連はロシアや中国の足並みがそろわずに、流血を止める有効な手を打てなかった。
紛争地からは情報がないことが常だ。国際社会が紛争を解決するには世界のニュースになることだ。それなしでは虐殺などの非人道的な行為も抑えられない。
ベトナム戦争中の一九六八年に、ソンミ村で米兵が民間人を虐殺した事件は、報道されると反戦のシンボルとなり反戦運動が広がるきっかけになった。
最前線に立つジャーナリストはその重要な役目を担う。新聞やテレビで語る山本さんは、女性や子どもが置かれている状況にも目を向けることで真実が見えてくるという姿勢で一貫していた。
国際NGO「国境なき記者団」によると今年、死亡したジャーナリストは六十人を超えた。シリアでは山本さん以外に五人が亡くなっている。
日本人では二〇〇四年にイラクで、橋田信介さんと小川功太郎さんが銃撃され死亡した。〇七年にはミャンマーで長井健司さんが治安部隊に撃たれ亡くなった。痛ましいが使命感が胸を打つ。
山本さんは日本の子どもたちにも熱心に語りかけていた。「子どもたちは伝えて十年後、二十年後にひっかかるものを感じてくれることがある。だから説明しても分からないと思わないで」と親交のあった本紙記者に話していた。
現場にしかない真実を求め、命懸けで赴く姿勢にジャーナリズムは支えられている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012082202000120.html
http://en.rsf.org/syria-japanese-reporter-killed-in-aleppo-21-08-2012,43252.html
他の記事も読めば読むほど、心が痛みます。
※追記
今夜のNHK「ニュースウォッチ9」のトップニュースで、山本さんのことが取り上げられていました。
山本さんが亡くなる寸前まで撮っていた映像が流れました。激しい空爆が続く中でも、シリアのアレッポに残っている人たちを映像に残していました。子供や女性の姿を・・・。
山本さんの首には、女性らしくピンクのスカーフが巻かれていました。とても綺麗な方だと思っていましたが、お洒落な方でもあったことが一目でわかりました。
シリアの動乱は、昨年から1年5ヶ月も続いていて、1万人以上の市民が犠牲となり、4人のジャーナリストが犠牲になっています。
今、NHKの解説でも流れていましたが、シリアで報道関係者が次々と亡くなっているのには訳があるようです。
シリアで取材をする時には、反体制派の人間と取材を行わなければならないそうです。政府軍から見ると、反体制派の人間と行動を共にする報道陣も敵と思われてもしかたがないため、それで、報道関係者が次々と犠牲になっているようです。
山本さんに関連する記事を読んでいて、山本さんが書いた本(『中継されなかったバクダッド』)からの言葉を見つけました。最後に、ここに紹介しておきます。
「私たちジャーナリストは死ぬために戦場を目指してはいない。誰かがそこへ行って目撃しなければならないし証拠を残していかなければならない。記録して外の世界に出さなければならない。だから私は戦場に向かう」
山本さんのご冥福を心からお祈りするとともに、シリアに少しでも早く平和が訪れることを願います。