出会いとは、
後になって考えてみると

あの時、
あの瞬間の奇跡、
そして必然的な運命だったのだろうと。

私は夫とイギリスの南東部の海が綺麗な街、
ブライトンで出会った。
こんなお伽話なようなことが
実際、私の身にも起きた。
彼は、私より二つ年上だったけど、
実に無邪気な人だった。
そしてあれもこれもやりたい事が沢山ある人...
出会ってすぐに
“僕は君と結婚するだろう、
だから付き合ってくれませんか?”
と訳のわからないことを言う人だった。
あまりに無邪気すぎて、
だけど彼と過ごしたブライトンでの生活は、
とってもキラキラしていた。

多分、お互いが異国という異世界で
今まで歩んできた、
これからも歩んでいくであろう
普通の日常から解放されて、
ただただその時を
楽しんでいたから
出来たことなのかもしれない。

思い返せば、私は学生時代まで
とても恵まれた人々に囲まれていた。
私の周りには、
思いやりがある人達ばかりで溢れていた。

それが普通だったから
ブライトンで出会った他国の友人、
そして日本人の友人からも
信じられない行動によって
傷ついたりする事があった。
本当に世間知らずだった。

ただ他国の友人達には
それなりの理由があって、
彼らのお国柄、バックグラウンドが
影響しているので、
“あそこからきてる子達は、
適当だから”
とか
“彼らとどんなに話し合っても
あなたは日本人だから
信じてもらえないよ”
とか言われた事もあった。
そんな異国の友人達には、
本当に本当に悪気はなく、
それが単なる私が暮らしてきた
日本人としての日本の“常識”でしかない
価値観だったと気づいた。

ただ衝撃だったのは、
ブライトンで出会った日本人の友人二人。
彼らは、私達仲間の友人関係を
嘘で引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、
忽然といなくなったというか逃げた。
こっちもこっちでもう関わりたくない、
二度と会いたくないと思っていた。

でも経験は、経験として
こういう風な人達が存在する事を
知ることができたのは、大きかった。
ふと思い返すと私自身が
昔はひどい人と
呼ばれる側だったのかもしれないと
思う節もある。

大学3年の時に付き合い始めた彼は、
私より11歳年上で30歳を過ぎていた。
私は元々、卒業後は留学したいから
日本にいなくなるよと彼に言っていたので、
それも了解済みだった。

そして留学先が決まった頃、私は彼に
”一年行ってくるけど、
私を待っている必要はないよ、
他に好きな子ができたら
それもしょうがない“
とだけ言って飛び立った。
その年の年末に一時帰国し、
もう一年ブライトンで頑張りたいと
新年には、また飛行機に飛び乗っていた。
この“私のもう一年”が
夫に出会わせてくれた時間だった。

その彼には、
誠に酷いことに電話で別れを告げた。
その前に私は彼の親友に電話で相談した。
親友は
“ダメなら早く奴に言ってやった方がいい、
アイツはお前が帰ってくるの待ってて、
歳も歳だからその先(結婚)も
考えていたと思うよ”
と。

私は彼の親友を絶対的に信用していたし、
その親友は私にとっても
大切な人だった。
彼と別れ話をした時、
“先に○○(彼の親友)にこのこと相談しただろ”
って言われ、彼はなんだかその親友の様子が
おかしい事に気づいていた。
ただ彼の周りの人達が
彼を支えてくれるのもわかっていた。
私の中では彼は私にとっての
運命の人ではなかっただけだった。

自由人といえば、聞こえはいいけど、
私は、ただまだそこまで大人ではなかった。
出会いというのは不思議なもので、
彼や彼の友人達が教えてくれた、
なんというか私のちょっと先の未来で
待ち受けている世界(30代)の様々な話が
良い経験として私の中に残った。

私は、彼ではなく、夫を選んで、
夫とは28歳で死別してしまったけど、
最愛の娘を授かった。
これも出会いの奇跡。

娘が私達の子供としてきてくれた事が
人生最大の奇跡だ。
娘もきっといろいろな人と出会って、
楽しい事も有れば苦しいこともあるだろう。
時には立ち止まって、
3歩下がってもいい。
そこからよし、
今だと思える瞬間に前に歩き出せば
いいじゃないかと。

多分そこには、また新しい出会いがある。
出会いは、人と人だけの繋がりだけではなく、
きっとそこには
”自分が知らなかった自分“
にも出会えると思うから。
そんなふうな奇跡を信じたい。