死別後、
ドイツ語、ドイツ人ではなく、
日本語で日本人と同じような
環境下にある人との交流を持ちたくて、
ブログをやっていた時期はある。

そこでは、子も親も様々な年齢の人がいたが、
死別シングル集うサイトに出会い、
随分と救われた。

日本に里帰りした際に、
オフ会が開かれて、
その内の何人かと実際に会って
死別あるあるの悩みを話す事ができた。

そして子供がうちの娘よりも
小さい時に死別してしまって、
さらに一人ではなく、
複数人の子育てに追われている人が
いる事も知った。

オフ会では、
当時、小さい子供から中学生ぐらいまでの
子供達が一緒に参加する事もあって、
子供達同士の輪も広がっていった。

その中の一人とは、
子供達がパパとお別れした年齢、
2歳だったという共通点や
彼女は私よりちょっとだけ
死別の先輩という事もあったので、
やりとりが続いた。

それから月日が経ち、
彼女とは、日本里帰りの際には、
飲みに行く仲になり、もちろん娘達も一緒で。
ある時、娘達に
“パパがいない生活ってどうなのよ” 
って聞いてみたところ、
“どうって言われても、
それが普通だから
パパがいる生活がわからない、
ママと二人が普通だから”と。

なるほど!

この子達は、物心ついた時には、
パパは亡くなってしまっていて、
ママとの二人生活が当たり前の日常であって、
これが普通だったのだ。
寂しい思いや辛い思いを
した事もあったであろうと
気にしていたのは親の方で、
そんな感情が子供からすると
”わからない“
なのだと。
子供側からしてみれば、
自分の空間が普通なわけで。

当たり前にいる物がないという事って、
その当たり前こそが
それぞれが持った価値観の違いなのだと
子供側からの正論で教えられた。

子供は、無知ではない。

自分がおかれた環境の中で、
出来ることとできないことを
よくみて判断している。

それが他のご家庭では、
これはパパの役割であるなんてこと考えずに
”うちでは、
ママがする事=親がする事”
と思って育っていく。

パパの記憶のウチの子は、
”パパ“という存在は、私が彼女に伝えていく
ある意味、本のような語り継がれていく
物語に近いにかも知れない。

もしかしたら、
思い出が記憶として残っている子たちよりも
その環境を受け入れやすいところが
あったのかも知れない。

子供の方がたくましかった...

こういう話を聞いたのも子供達が
中高生になってからのことだったが、
自分が思っていたよりも子供達は、
親をよく観察していて、
自分と他を比べたりしていなかった。

こんな風に思えるようになったのも
死別して10年経った頃だったかなぁ。
子供に救われたと思う瞬間は、
本当に沢山あって、
”そんなに思い詰めるなよ、
深呼吸して、もっと楽に!
と昔の私に言ってあげたい。

とは言っても
つい先日も娘に
“パパのいない子にしてしまってごめん”
と呟いた時、
“えー、そんな事ないよ、これが普通じゃん”
と言われて、
娘を抱きしめた
頼りない母は、健在している。