こちらの話は、
ドイツの田舎のお墓事情なので、
都市では違った形が主流かもしれないけど、
土葬がまだまだ主流で、
やっとここ最近では、
火葬も少しずつ増えてきた。

お墓は、集落ごとにあって、
夫婦用、または一人用のお墓。
そのお墓は、30年毎に
その場所をさら地にしながら、
入れ替えをしていく。
つまり日本のように決まった場所に
先祖代々の墓は存在しない。

私の場合、
私たち夫婦があまりにも若かったので、
30年間の猶予が持たされる
夫婦のお墓を作ることができなかった。
だから夫は、一人用の場所に埋葬された。

初めそれを聞かされた時は、
“どうして?”って思う気持ちが強かったが、
よくよく考えてみたら、
この30年内に私が死んでしまっても
困るわけで、納得がいった。
この30年毎の墓地の使い回しは
実際、機能的だ。
墓地全体の広さを変える事なく、
次へと場所を明け渡していく。
お墓を守っていくとか
同じ墓に入るというような概念がない。

夫の時に、
土葬で棺桶も土に帰る(腐っていく)素材で
できているからと説明を受けた。
死んだら土にかえるという
概念の強さに驚かされた。

そして夫のお墓の使用期間の
半分以上の年月が過ぎた。

土葬は、やっぱりそれだけ場所も取るし、
そこに立てる墓石
(名前等が明記される簡単な石板)も
それなりの大きさになるので、
最近では随分と火葬を選択する人が
増えてきた様に思う。

火葬でも骨壺が土に帰る素材で
できているので、
30年後の墓の入れ替えで
土慣らしをする時には、
跡形もなくなっている仕組みらしい。
私は、このような綺麗さっぱりしている
ドイツ方式は、
気持ち、楽にしてくれると思った。

夫が埋葬された時、
葬儀は集落の教会で行われ、
その後、夫が眠る墓地横にある死者が
入る小さなチャペルへ参列者と共に
歩いて行った。
到着すると、すでに棺桶は閉じられていた。

全て終わったその日の夜、
どうしようもない衝動と
全てウソだったんじゃないかという
気持ちでいっぱいになった。

どうしようもない衝動というのは、
お墓を掘り起こして、
夫が本当に入っているか確認したい、
そうしないとこの事実が
本当のことなのかウソだったんじゃないか
という気持ちに収拾がつかなくなったから。

墓を掘り起こしたいなんて
なんとも気持ちの悪いこと考えるんだと
今でも不思議な発想だったなと
自分でも思う。

日本の火葬は、
近しい親族が亡くなっているので、
すでに経験済みだったけど、
火葬はお骨を拾う行為があって
そこで本当にもういないんだって
思考が認識した。

でも土葬では、彼の肉体は、
そのまま横たわっていてと思うと
なんとも言えないやり切れなさだけが残った。

でも今となっては、娘や私の今後を考えると
このさっぱりしたドイツ方式で
夫が埋葬されて良かったと思う。

ただ私はドイツではなく、
死んだら日本に帰りたいから火葬して、
日本に連れて帰ってくれと
娘にお願いしてある。
夫も土に帰ってしまって、
跡形もなくなっているのに
ドイツの土に帰るのなんて
絶対に嫌だからねと。