夫が他界して16年半。

17年前の7月中旬、
彼の30歳の盛大なバースデーパーティをして、
日本から私の両親も来て、
彼の友人たちと朝まで飲んで、
最後の方は全く記憶もないほど飲んだ。

今思えば、母もいることだし、
2歳になったばかりの娘のことも
任せられると気が緩んだのだろうと思う。

次の日は、本当に散々だった。

夕方まで気持ち悪いし、頭痛いし、
全く動けなかった。

なんでこんなことになったんだと記憶を探り、
夫に事情聴取した結果、
どうやら私はシュナップスを
それぞれの彼の友人達の輪に行く度に
誘われるがままに飲んでいたと...

確かに初めの頃の記憶の中にその光景は、
残っていた。

誕生日を祝ってもらった本人は、
全く大丈夫で、
私の両親のために一緒に出かけてくれた、
通訳なしで(私ね)。

その5ヶ月後に
彼は、突然、私達の前から
いなくなってしまった。

事故であったという処理はされたけど、
それしか考えられないからというのもあるが、
一体どうしてそうなったのか、
何が起こったのか、
何を彼がしたかったのか...
詳細は、誰にもわからない。
だって彼は、その場所に一人だったから。

その後、私の見える景色が一変した。

私は、昔から日記がてらに手帳だとかに
毎日に記録程度に書いていたが、
当時も娘が生まれて、
ブログに切り替えて色々書いていた。
そんなブログも
娘の成長記録だって
思っていたものが一変した。

その数年間の記憶は、
かなりごちゃごちゃしていて、
娘のことでさえ、
思い出せないことが沢山ある。

“生きる強さと生きる力と生きる意味”

コロナ渦で時間もできたせいもあったけど、そんなことをここ数ヶ月、考えていた。

娘は、
“私はママみたいに強くない”
と数ヶ月前に私に言い放った。
そして“強い”ってなんだろうと考える。

娘は、本当に優しくて、
でも頑固なところもあって、
そして私よりも繊細な子だ。
私は娘に
“あなたは優しすぎる”
とよく言う。
“もっと自分を押し通してもいいんだよ”とも。

生きる強さ...
なんなのだろう...
16年半前の私は、
自分が折れないように、
強くなるしかない...
目の前にいる宝物の為に...
それしかなかったように思う。
この頃、たまたま出会った歌たちが
私の心を救ってくれた事をよく覚えている。

生きる力...
自分の弱さを認めて、
守らなければならないもののために
一歩踏み出すことかなと思う。
今まで夫に頼りきりだった部分も
これからは、自分で解決しなきゃならない...
苦手だったドイツ語の輪に入らなきゃ、
私の友達を真剣になって作らなきゃ...
負けず嫌いの私が自分自身の弱さを認める...
これは、実は安易なことではなくて、
この部分で生前の夫と
よくぶつかったのだと今ならわかる。
弱さが生きる力を与えてくれた。

生きる意味...
未だによくわからない。
考えても無駄?って思うかもしれない。
生きる意味=生きがい
かな???とか時々、思う。
私の中で、まだまだ謎が多い問い。

ここ数年の娘を見ていると、
この子たちの時代は
本当に生きづらいのだなぁと思う。

“生きる強さと生きる力“
私の中では、
両極端な反対向きな矢印←→で
交わらないところにいるような気がする。

人生でいろんなしがらみから解放されて、
楽しかった〜と思えるのは、
やっぱりイギリス留学時代。
夫との出会いもそこなわけだし、
楽しくなかったわけがないか...
私の財産となった思い出では、
いろんな国の人、年齢の人と出会い、
良い意味でも悪い意味でも
日本にいたら経験できなかったようなことも
経験できた。
こういう経験を娘にも味って欲しいと思う。
もちろん子育て中も楽しかったよ、
今でも必死だけど。
私には、あの頃があるからこそ
ドイツのド田舎で、
ドイツ語もわからないまま生活が
始まって、
一生守ると言ってくれた人が
突然、いなくなっても
やってこれたのだとも思う。

逃げ道のないトンネルに中にいると
思った時もあった。
そういう時に思いっきり一人で
ただただ音楽に耳を傾けてドップリと落ちて、
泣いて泣いて自分を上昇させた。

私は、今の娘にきちんと
寄り添えているのだろうか...

16年半経って、
やっと自分を見つめ直す、
自分を思いやってあげなくちゃって
思えるようになった。
ずいぶん時間かかったなぁ...