私の父は昭和10年生まれ。戦中戦後の激動を生き抜き、早くに父を亡くし、母と姉妹に長男なんだからしっかりしろと育てられた人です。
中卒で働きながら通信制の高校を出て定年後も60後半まで働き続けてくれてました。
そのため父の母が亡くなってから、オレは遊ぶ!をスローガンにアクティブに趣味三昧で過ごしていました。
そんな父、85歳で車を手放す説得も大変でした。
何度も通いました、、、
父は、俺は一生遊びたいんだ。だから車が必要と言い抵抗しました。
だけど、立て続けに事故を起こし、任意保険の年額が24万円と通知が来てしまい
命がなくなったら遊べないよ
週末は私が囲碁クラブに載せていくからと涙ながらに説得して、やっと応じてくれた経緯がありました。
なので、私は父の入所を説得できるのは、父の体調が悪化するなどして入院するタイミングだと思っていたんです。それなら父も仕方なく応じるだろうと。
でも、今回は母の入院でした。
それが意外にも説得しやすかったんです。
家事が苦手な父
体は弱っていた母ですが、ヘルパーさんと父に指図して家事を回していました。
食事の準備だけは母が、お惣菜に野菜スープやチンして出来る簡単な料理をしていました。
認知症が始まっていたんだと、後で思いました。
私は父に話しました。
入院は長いと2ヶ月と言われていること。
退院しても、睡眠薬の管理を自分では出来ないし、家事が出来るほど元気になるとことはないだろう。
父は静かに聞いていました。
私は「お母さんのために施設を見つけているから、一緒に見に行ってくれない?」
父が了承したので、「試しに泊まれるみたいだから、一泊してきてくれない?ご飯も食べてみないとわからんやろう?」
母がいない生活が、父が自ら入所を決めてくれるきっかけになったんです。
これは本当に幸いな事でした。
次は入所までの手続きなど、怒涛の準備期間についてお話しします。
中卒で働きながら通信制の高校を出て定年後も60後半まで働き続けてくれてました。
そのため父の母が亡くなってから、オレは遊ぶ!をスローガンにアクティブに趣味三昧で過ごしていました。
お金はとても大事にする人で、いわゆるケチとも言える節約家。なのでお金のかからないグランドゴルフや庭いじり、囲碁、絵画、詩吟、歴史探訪、カラオケなど、楽しんでましたね、、、
そんな父、85歳で車を手放す説得も大変でした。
何度も通いました、、、
父は、俺は一生遊びたいんだ。だから車が必要と言い抵抗しました。
だけど、立て続けに事故を起こし、任意保険の年額が24万円と通知が来てしまい
命がなくなったら遊べないよ
週末は私が囲碁クラブに載せていくからと涙ながらに説得して、やっと応じてくれた経緯がありました。
なので、私は父の入所を説得できるのは、父の体調が悪化するなどして入院するタイミングだと思っていたんです。それなら父も仕方なく応じるだろうと。
でも、今回は母の入院でした。
それが意外にも説得しやすかったんです。
家事が苦手な父
体は弱っていた母ですが、ヘルパーさんと父に指図して家事を回していました。
食事の準備だけは母が、お惣菜に野菜スープやチンして出来る簡単な料理をしていました。
母が入院して、私がお弁当の手配やら、デイサービスの回数を増やすなどの対応をして、父に説明するのですが、動転しているのか、頭に入らず、ノートに書いて見せても理解がなかなか出来ない。
認知症が始まっていたんだと、後で思いました。
いつもの生活が続いていると分からないけど、不測の事態に理解が追いつかないのは、年齢のせいばかりではないようでした。
父は、はじめて、「お母さん早う帰ってこんかなあ。2人でいないとうまくいかない。」と不安を漏らしました。
私は父に話しました。
入院は長いと2ヶ月と言われていること。
退院しても、睡眠薬の管理を自分では出来ないし、家事が出来るほど元気になるとことはないだろう。
お母さんは鬱病だから常に誰かの見守りが必要なので、退院と同時に施設に入ったほうがいいこと。
父は静かに聞いていました。
私は「お母さんのために施設を見つけているから、一緒に見に行ってくれない?」
父が了承したので、「試しに泊まれるみたいだから、一泊してきてくれない?ご飯も食べてみないとわからんやろう?」
すると、不安と寂しさの中、前より私に頼るようになっていた父は、体験宿泊をあっさり受け入れて、「いつ泊まるとやったかな?」と何度も聞いてきました。
そして一泊した後、「俺も一緒に入れるの?いつから入れるのか」と自分で言い出したんです。
母がいない生活が、父が自ら入所を決めてくれるきっかけになったんです。
これは本当に幸いな事でした。
次は入所までの手続きなど、怒涛の準備期間についてお話しします。
