千葉県産理塚において突然空港建設がぶち上げられ、農民の猛反対が会ったが、札束攻勢に農民が分断され、また学生労働者たちの支援も、革共同を始めとする新左翼諸派における内ゲバなどにより、一時支援闘争が分断されていった。空港管制室占拠も一時的なものであったが、成田空港は1本の滑走路で空港の運営が開始された。団結小屋はそのまま残ったのだ。
 成田空港会社が、団結小屋は空港予定地を訃報に選挙しているとして立ち退き命令を出すように裁判所に訴えて、撤去が決定された。
 成田空港など無用の長物であり、あんな辺鄙なところになぜ空港が作られたのか、利権が動いたとしか言いようがない。団結小屋撤去は絶対に許せない。