劇団、本谷有希子。

言わずもがな、ではあるが今現在、小劇場界で最も注目を集めている劇団の一つである。


自分の名前を劇団名にした主宰・本谷有希子の専属役者を設けない「プロデュ―スユニット」として 2000年8月に旗揚げされたこの劇団は、女の濃い情念や身勝手な妄想などを題材にして芝居作りを行っていると聞いていた。題材としては非常に私好みであったものの「松尾スズキに影響を受け過ぎている」という反応を多く目にしていたのであまり気が進まなかった。同時期に、別の劇団で松尾スズキに影響を受けたと思われる舞台を観て、そのあまりの出来に落胆していたので、比べるわけではなくともどこか足踏みをする気持ちが生まれていたのかもしれない。


ところが、前回公演の『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』と今回公演の反響コメントを目にし、私は居ても立ってもいられなくなった。色々とこだわりを持つより自分の目で確かめるべきだ。ということで、恥ずかしながら今回が初見である。『乱暴と待機』本谷有希子の「馬渕英里何にスエットを着せたい」という思いから生まれたというこの話。当日券・立見席で観劇。


端的に結論を言うと、「面白い!観に来て良かった!」である。

役者の力も大きいけれど、その役者の力を引っ張り出した台本と演出にも脱帽した。松尾スズキの影は私にはあまり見受けられなかった。特に馬渕英里何の演技力が存分に生かされていることに驚いた。長塚圭史作・演出の『真昼のビッチ』を観た時に「この人は舞台女優として成長するな」という予感があったが、今回の舞台で見事、開花したという印象。これからの活躍にも期待大。


 内容。冒頭で突如、物語のラストの男女四人の光景が繰り広げられる。もちろん、この時点では、おそらくの範囲内でしかなかったのだけれど、観客は物語の前後が分からないままに、男が「最高の復讐を思いついた」と言って家を出て行き、電車に飛び込んだというエピソ―ドを見せつけられる。「何で突然、死んじゃってんだよ!」印象的なこの台詞を残し、物語は始まる。


 献身的に相手に尽くそうとする小川奈々瀬(馬渕英里何)と寡黙で笑わない山岸(市川訓睦)は二人暮らし。日々、山岸は奈々瀬に対する「最高の復讐」の内容を考えており、奈々瀬はその「最高の復讐」を受ける機会を待ち続けている。奈々瀬は毎晩山岸を笑わせる為のネタを考え、山岸はそのネタに全く表情を変えることなくシュ―ルとベタな笑いの違いについて講義したりしている。そして二人は二段ベッドの上下にそれぞれに横になり


「おにいちゃん、明日は思いつきそう?」

「ああ、明日はきっと思いつくさ」

「良かった」


と言葉を交わし、眠りにつくのである。どうやら、そんな毎日が繰り返されているらしい。


そんな中、刑務所で死刑執行のボタンを押す仕事をしている山岸の同僚の万丈(多門優)が奈々瀬に興味を持ち、加えて万丈に思いを寄せている故に振り回されているあずさ(吉本菜穂子)が「奈々瀬に笑いを伝授する」という名目のもと、部屋を訪れるようになってから、二人の不可思議な同居の実態が浮き彫りになってくる。


なんと「復讐の原因」が何なのか、どちらも思い出せないというのだ。幼なじみだった二人は、十二年前に車の踏切事故で山岸の両親を亡くしているらしい。その際、後部座席に乗っていた山岸と奈々瀬だけが生き残ってしまい、山岸の足に後遺症が残ったとのことだが、そこからは奈々瀬への復讐の原因は汲み取れない。 山岸いわく、自分の人生がうまくいかなくなり始めた起源を辿ったら奈々瀬に行き着いたのだと言う。奈々瀬も自分のもとに会いに来て「誰も思いつかないような最高の復讐をしてやる」と言った山岸の意思を受け入れ、それで今まで六年間もの共同生活が続いているというのだ。はっきりした復讐の理由もわからないままに。そして山岸は、天井に空いた穴から、時折、奈々瀬の姿を盗み見ては復讐の内容を考えているのである。


何だかゾクリとした。恐怖とはまた違う。行き場が無いと認識した瞬間の人間の行動に覚えがあるような気がして、興味を惹かれたのだ。感情の理由づけをするために必死な登場人物たち。私は物語の展開と矛盾を楽しみながら、依存状態に入り込む瞬間の人間の姿について考えた。この二人はそれぞれ憎しみと同情の思いに互いが一緒に居ることの意味を持たせているのである。性交渉もなされない二人の関係は、壁一枚、いや布団一枚を隔てた自身の生きている実感を保つための鎖であるというわけだ。  その鎖が、万丈とあずさが介入してくることによって除々に錆びれてゆく。どこか軽快な会話のテンポに笑いながらも、私はちくちくと胸を刺してくる痛みに気付いた。その痛みは、女である自分と奈々瀬を重ねている状況に対するものだった。馬渕英里何は、奈々瀬の「人から嫌われることが何よりも苦痛で、過剰に遠慮して逆に不快感を与えてしまう」このようなキャラクターを堂々とやってのけていた。  


奈々瀬はそれから、誰からも嫌われたくないあまりに相手の欲求の思うがままになり、自分の部屋で万丈と体の関係を持ったり、あずさに見つかって殺されそうになったりする。屋根裏に居た山岸がその行動を止めたことから、覗き見の事実が露呈して、山岸は奈々瀬と別々に暮らすことを提案する。奈々瀬はそれを受け入れる。二人は二段ベッドで、いつもとは違う会話を交わす。嘘を話すという前提で、お互いの思いを伝え合う。  


ところが、いざ奈々瀬が出て行こうとする時に山岸は「復讐の原因」の内容を思い出したと言って部屋に戻ってくる。その理由とは、車が線路内に入ってしまった時に、山岸が「前」と言ったのに奈々瀬が「後ろ」と言って両親を混乱させたからだという。原因を思い出すことが出来た喜びで、六年ぶりに高らかに笑う山岸。しかし、その場で内容を聞いていたあずさが冷静に状況を分析する。


 ―― 前に進んでいたら山岸も奈々瀬も死んでいたのではないか。後ろに戻ったから、二人は助かったのではないのか。


山岸の笑いが止まる。奈々瀬が焦りを見せる。そんなんじゃない。私が悪いの。私が余計なことを言ったからいけないの。必死で山岸をかばう奈々瀬。呆然とする山岸。すると奈々瀬がここで初めて口調を荒くしながら自分の思いをぶちまける。そうやって、私のことを無かったことにするんでしょうと。そして実は、覗き見の穴は奈々瀬が用意したものだったということが露呈される。奈々瀬は山岸に自分を「復讐」という言葉のもとで、目に入れて欲しいがためにそのような行動をとっていたのだった。


 「面倒臭い私ごと、受け入れて欲しかった」


この台詞が女である私の胸を突き刺した。う―ん。痛い。どうやらこのシ―ンで奈々瀬が語ったことに対しては賛否両論あるようだが、私は強烈に見入ってしまった。不器用に振舞うことしか出来ない奈々瀬が人間臭くてたまらなかったからだろう。卑屈で不謹慎でどうしようもないけれど、愛しい。・・・と感情移入していると、山岸が「最高の復讐を思いついた」と言って外に飛び出していった。あぁ、冒頭で見せ付けられたラストシ―ンだ。そういうことか。奈々瀬は山岸が電車に飛び込んだと聞いて笑う。最低で、最強の愛情表現である。なんて、後味の悪い締めくくり。暗転になった舞台を見つめながら、私は胸の中にずっしりと重いものがかぶさってくる感覚を味わっていた。これで終わりだ。カ―テンコ―ル・・・と思ったら、舞台は明転し、部屋にひょこひょことミイラ状態になった山岸が帰ってくるではないか!  


指を無くしたものの、助かった山岸は、「本当は絵を描きたかったことを思い出した」と言い放つ。そして再び、奈々瀬との「復讐」という名のもとの共同生活が始まる――。  


本当のカ―テンコ―ルの時、私は、しばらくぼんやりとしてしまった。最後に山岸と奈々瀬が、とても幸せそうに笑ったのが印象的だった。これは立派な「愛のカタチ」であるとそう思った。恐るべし。劇団、本谷有希子。心の襞をこのような形で描き出すとは。万丈とあずさの展開に強引な箇所は見受けられるものの、それでも充分な満足感を得ることが出来た。女の情念や思い込みを描き出すというから、もっとヒステリックなものを想像していたけれど、全然違う。これは、しっかりと作り込まれた、上質な愛についての物語である。


 『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』がDVD化されるらしい。是非、購入して、今回公演との違いを見比べてみたい。

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ポツドール『愛の渦』

テーマ:

4月21日(木)ソワレ観劇。

公演を打つ度に賛否両論のポツドール。噂は耳にしながらも、今回が初見。


毎回、舞台装置が素晴らしいとのことで期待していたのだけれど、なるほどリアルで丁寧な作り。

友人によると、前回公演「ANIMAL」の方が河原という設定も手伝ってインパクトがあったとのこと。

観たかったなぁ。


さて、今回は乱交パーティーに集う人々が朝を迎えるまでの時間の経過を追う。ただそれだけの内容。


役者は日常会話を交わすように小声でやりとりをする。後方から観ていた私には所々聞こえない箇所があり。「台詞を届かせないなんて、観客に対して失礼だ」という意見も分かるが、逆にそれが一層、覗き見をしている感覚を助長していたりして。少なからず私にはそう感じられた。


ただ、セックスがしたくてたまらない人々が集っているので、目的は一つだけ。けれど、最初は互いに緊張して声をかけられずにいたり、勇気を出して誘いをかけてOKをもらってほっとしたり。一度うまくいったら安心して馴れ合いの関係になってしまったり。さらに露骨にアイツとヤりたいだの、ヤりたくないだのと言う奴が出てきたり。最後は「楽しかった。終わっちゃうのが寂しい」という女の子が出てきたり。それぞれがスケベで臆病で自分勝手で、そんな人間らしさに「愛」を感じて、すごく面白い。いや、していることはセックスで、ただヤってるだけと言われればヤってるだけなのですが。私はタイトルに普通に納得したのだけれど、どうなんでしょう。


HPで『騎士クラブ』の映像をちょっぴりのぞいたりもしていたのだけれど、それから受ける印象よりは、マイルドだった。暴力的な表現はあまり見受けられなかったし。おそらく三浦さんが見ている所は同じだと思うのだけど、今回の表現が優しかったのかな?


キャラクター設定もしっかりとなされているのに、「芝居」を観ている感じがしない。

かと言って「ドキュメンタリー」を観ている時のような、枠に留まらない状況をさらされている感じもしない。

構成は作り込まれ、ある一つの見せ方の形として、私たちの前に提示されている手法。

これが『セミドキュメント』か。


とにかく、すごーく面白かった。次も必ず観に行こう。

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日芸の学生劇団『鵺』と早稲田の学生劇団『コマツ企画』の公演を観る。


前者は6人組のお笑い集団である。M-1グランプリに出場し、一次予選を通過している経歴もあるらしい。

前回公演『マタニティ、内角の乱!』を観に行って気に入ったので今回は二回目の観劇。6人それぞれがボケ・ツッコミ・オール・孤独などの役割を持ち、コントや漫才などを繰り広げる。基本的に短編集の作り。

後者は「守りに入らない」をキャッチフレーズに下ネタなどの過激な表現を取り入れて芝居づくりをしている劇団とのこと。えんげきのぺーじを見たら一行レビューにコメントがちらほら。

 

どちらも面白かった。二つ観た上にどちらも『笑い』を中心に置いていたということで、どうしても両者を比べる視点が入ってしまうのだが、今回の『鵺』はネタもコンパクトにまとめた印象。時折、ブラックジョークなネタが含まれており、『鵺』にいやらしくない馬鹿馬鹿しさを求めている身としてはギクリとしてしまった面もあり。

 

その分、劇団の色もあるにせよ『コマツ企画』には凄まじい勢いを感じた。(もちろん、皆が早稲田の学生ではないだろうけど)良くも悪くも欝屈した精神が舞台上のあちこちで爆発しているのだ。そんなに溜まってるのか!いや、悪いわけではなくて、それぞれ上手くネタとして昇華されてて、とても面白かったのだが。

物語は主人公が小学校時代の同級生の生霊と過去をたどっていく・・・という一応の流れはあるんだけれど、とにかく破天荒で低俗で馬鹿馬鹿しいネタのオンパレード。役者も個性的で飽きることが無かった。特にヘーゼルおじさん役の川島潤哉さんは暴れすぎてて魅力的。携帯ネタには参った。ずっと「この世のすべてが携帯に見える」っていうネタをやり続けてるの。爆笑しちゃったよ。守りに入らないっていう、その態度が潔く目に見えて良い。知り合いが出ていたので観に行ったのだけれど、次も行こうかなと思う。

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