▶エンプレス・オーガスタ湾(1943年11月2日)ブーゲンビル島(ソロモン諸島内最大の島)のトロキナ岬ヘ上陸しようとしました連合軍の作戦を阻止しようとしまして、日本軍は4隻の巡洋艦と、「時雨」を交えた6隻の駆逐艦を投入しました。アメリカ海軍は4隻の巡洋艦と8隻の駆逐艦でこれに対抗、結果は日本側の負けとなりました。日本側が「ガゼール湾海戦」と呼んでいるものですが、「時雨」の損傷はありませんでした。
▶ビアク島(ニューギニア=1944年7月4日)数隻の日本艦船が長時間、アメリカ軍の駆逐艦群による船尾追撃を受け、「時雨」も同様な目に合いました。5回程あわやという危険に遭遇しましたが、「時雨」はまたも損傷なく切り抜けました。
▶フィリピン海(1944年6月19日〜21日)空母機動部隊Bの護衛陣の1隻となりましたが、この戦闘でもまた損害を負わずに済みました。
▶スリガオ海峡(1944年10月25日)所属する艦隊で「時雨」1隻のみが生き残りました。それも8インチ砲弾1発を浴びながら、など同砲弾が不発となり、軽微なかすり傷だけで戦線を離脱しました。この海戦はアメリカ軍による太平洋最大の日本海軍殲滅戦となり、「時雨」もまたアメリカ軍の水雷艇・巡洋艦群に包囲されましたが、強運を発揮しました。
 「時雨」の指物幸運も、1945年1月24日に命数が尽きました。この日、シンガポール北方150マイルの海上で小船団を護衛中、米潜水艦ブラックフィンからの雷撃を食らいました。艦と乗組員ほぼ全員が海の藻屑と消えました。