時の流れ。義姉の変化 | ☆ココロの星屑たち☆

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昨日長野駅で義姉と姪っ子ちゃんとちびちゃん(1才男の子)に再会し笑顔で帰って来た旦那。

長野駅前の百貨店内のレストランで食事をして楽しい時を過ごせた様子。

義姉と姪っ子ちゃんからはお菓子を頂いた。

写真を見ると、元気そうな義姉と姪っ子ちゃんの笑顔。にこ。にこ。

そして全身ぷくぷくしたかわいいちびちゃん。ハート

今回は姪っ子ちゃんがHey!Say!JUMPのライブに来たそうで(そう言えばジャニーズが好きな子だったなニコッハート)
それに義姉もついて来たそうだ。

長野駅前のホテルに1泊して、今日神奈川へ帰って行った。

 

すっかりママの顔になっていた姪っ子ちゃん。

私の記憶の中では中学生のままで止まっていた。

ほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほしほし

 

義母が生きていた頃。


義姉との関係は最悪だった。

少しでも義母の逆鱗に触れると「あの子達が悪いのよ!!」騒ぐ。
↓↓
義母から話を聞いた義姉が怒り出すと言う悪循環だった。↓


娘が生まれてやっと義母と距離を置けたけど、この気性の激しい義母に何度泣かされたかわからない。


ドアを開けお金の入った封筒を突然投げつけて「裏切者!!」と言われたり(今も理由がわからず汗)

「あんたはこの世で見た中で一番最低の人間だ」と言われたり。

「あんたが子どもを産んだら首閉めて殺すだろう」と言われた事も。

義母の怒りが治まらず、一晩中朝まで延々責められた日もあった。

私の中で義母=恐怖の図式が完成していた。



義母が亡くなり数年が過ぎ、義姉も少し落ち着いて来たのだろうか。

「ずっと親に振り回されて来た」と口にする様になった。

そして、
「兄弟でいつまでもいがみあっても仕方ない」

「お互い親に振り回されて来たけど、これからは協力して一緒にやって行こう」と言う事で旦那と義姉で一致した。

今後は高齢の義父の事もある。


帰宅した旦那は目を細めて「ちびちゃん可愛かったよ~ラブラブラブ」と喜んでいた。

ちびちゃんは今年先天性の病気で手術を受けたので(無事成功音譜)

姪っ子ちゃんは「マナちゃんも叔父さん達も大変だったね」と私達に理解を示してくれた。

私の近況も話したそうで、義姉は心配してくれていたそうだ。

「マナちゃんに会いたい」と。


クッキーも喜んで受け取って貰えた。良かった。にかっ!ハート



「結局さ、おふくろとの事がなければ姉貴とも円満に行ってたんだよな…。」

旦那が呟いた。

義父との関係も義母が亡くなってから劇的に改善した。

以前は実家へ行っても義母は怒るばかり…。娘の根治手術の為横浜へ引っ越す時も怒り出し、話し合う事すら出来なかった。


電話では度々話していたけど、旦那が義姉と顔を合わせたのは実に約20年ぶり。

義姉は還暦になり、義兄はもうすぐ定年退職を迎える。

まさか長野で再会出来るとは思っていなかった。


義姉とは本当に色々あったけど、再び交流出来る関係になれて心から良かったと思っている。

私の方の家族関係が悪いので、せめて旦那家族は仲良くして欲しい。。。

あの頃は想像も出来なかった形で、色々な事が落ち着いて来て安堵している。

姪っ子ちゃんがくれたお菓子。

お姉さんからのお菓子。sao☆