僕は、中学受験をして、京都の洛南高等学校附属中学校に進学を決めた。


以下、その時の記憶を思い起こしながら、「体験記」なるものを書いていく。

 

 


転塾


僕は確か小4ぐらいから塾に通いだし、受験勉強を始めた。


その頃は、京都に住んでいたこともあり、地元1の進学校である、洛南に合格出来たらいいなとぼんやり考えていた。


そうして、家の近くのローカル塾で何となく勉強を続けていたが、

ある日、親から「もっと本気で受験勉強するなら、この塾の方がいいんじゃない?」といった趣旨の勧誘を受ける。



小学生の頃の自分は、別にどっちでもええけど…と思ったに違いないが、誘いを受け、塾を変えることを決意。


大手の塾に移籍を果たす。この時、確か小学5年生。

 


 

ガガーリン「地球は青かった」



はじめは環境の変化に戸惑い、苦しみながらも、徐々にペースを掴んでいった少年。


「やはりこの塾に来たのは、間違っていなかった」

そして勉強を続けるうちに、次第に努力が結果へとつながっていく感覚を肌で感じる。


その塾には、Nコースなるものが存在しており、成績が結構良くなってきていた自分は、Nコースに入る資格を得た。


Nコースとは、関西1の進学校である、灘中学校の合格を目標として作られた、最難関コース。

 

 

 

 

最難関への挑戦



灘中学校はさきほども述べた通り、関西1の進学校であり、男子校。


Nコースに入るまでは全く知らなかった灘だが、このコースに入ったことをきっかけに「本気でここを目指してみるのもありなんじゃない?」というかっこいい思想を手に入れる。

 

 

灘中受験特有の変わった問題たちに太刀打ちできるよう、日々努力を重ねる。気づけば、第一志望は灘中になっていた。


しかし、実際は灘ではなく、洛南に進学を決めた。

 

 

灘には落ちたのだ。

 

 

今回のブログは、このあたりで終わっておこう。

次回の「不合格体験記」をどうぞお楽しみに。

 

 


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