苦しみを本当の自分を見つけるチャンスにしてほしい。苦しみと不幸は別。苦しみは幸せに向かっている。
福井常珖(真言宗僧侶) 週刊仏教タイムス 令和2年4月2日
福井常珖師は三重県の中心光寺で住職を務める真言宗の僧侶です。その生涯はまさに波瀾万丈、そして仏縁に導かれたものでした。
福井師は家庭の事情で、十歳までお祖母様に育てられたそうです。このお祖母様は弘法大師の熱心な信者で、四歳で亡くなった福井師のお姉さんのご供養を丁寧に行っていました。やがて親元で過ごすようになったもののお母様が病気になり、またお祖母様の元で過ごすようになりました。
親や祖父母の習慣は、小さな子に大きな影響を与えます。福井師もきっと、お祖母様から信仰の尊さを知らず知らずのうちに学んだのでしょう。
高野山大学に進学しましたが書道の先生になるのが目標で、お坊さんになるつもりはなかったそうです。しかし親の経済的負担を減らすためお寺に住み込むことに。お寺の手伝いがあまりに忙しく、なるべくお寺にいなくて済むように、という消極的な理由で密教の授業も受けるようになり、そこで弘法大師の魅力に引き込まれます。ここに至り、僧侶の道を進み始めたのです。
福井師に限らず、大きな影響を持っている僧侶は、「元々お坊さんになる気はなかった」という人がとても多いのです。色々な道に関心を持った結果見聞が広がり、それが生かされているのだと感じます。
やがて福井師は厳しい修行に励み布教にも尽力しますが、理由も分からないまま当時在籍していた教団を破門されるなど大きな挫折も経験、そして新しいお寺を建てる事を決意します。
多くの方の協力を得て、ついに平成十六年にお寺は完成しました。平成二十七年からは高野山の修行道場で僧侶の教育も担当しています。
辛い経験が多かったからこそ、「苦しみと不幸は別」と言い切る事ができるのでしょう。もし今が幸せなら、あるいは将来幸せになれるのであれば、経験した苦しみの意味合いも変わってきます。「あの時の経験があるから今がある」と言えるように毎日を過ごしていきたいものです。
苦しみを苦しみにしたままではあまりに勿体ない。誰の人生にも辛い時期、苦しい時期は必ずあります。どうせ誰もが苦しむのですから、「これは幸せに向かっているんだ」と信じて努力を続けたいと思うのです。
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