病気回復への心と魂と肉体の癒しのための祈りと、
日本人の祈る力の威力
膠原病の皮膚筋炎で入院している私のお見舞いに欽ちゃんパパが面会に来てくれる日に届いた宅急便が、大神神社(奈良県桜井市)の三輪明神のご神水でした。
京都のクライアントさん(彼女は霊能者)と岡山のクライアントさんが3人で、参拝して、霊能者の京都の彼女がご神事で、三輪山の地下脈を整えた後の水をペットボトルに入れて数本送ってくれました。
先日うちのクライアントさんが、私の恵方神社に代参してくれた時のブログを書きました。
その時のおみくじや、御朱印も今回のご神水と一緒に送ってくれ、ありがたや〜〜〜〜💖
病気回復への心と魂と肉体の癒しのための祈りと、
日本人の祈る力の威力
今回の私の状況のように、病気の回復のために「祈り」をいただくということは、単なる宗教的な儀式を超えた、深い意味を持っていると私は思っています。
誰かが自分のために祈ってくれるとき、その想いは見えないエネルギーとなり、静かに、しかし確かに届きます。
孤独や不安を和らげ、心にあたたかな光を灯し、回復への力を後押ししてくれていることを確かな感覚として感じています。
祈りを受け取るとき、人は「自分はひとりではない」と実感します。
それは心の免疫力を高め、身体の自然治癒力にもポジティブな影響をもたらします。
また、祈りは未来への希望を取り戻し、どんなに苦しい状況の中でも、小さな希望の火を消さずにいられる支えとなります。
私も今回は特に、私史上初の長期入院ということと、ことの深刻さも含めそう感じています。
日本人にとって「祈り」とは、特別な宗教行為に限らず、日常の中に自然と息づいているものです。
朝に手を合わせる。旅立つ人に「無事を祈る」と声をかける。神社に参拝し、静かに願いを込める。
こうした一つひとつの所作には、目に見えないものを敬い、誰かの幸せや回復を心から願う力が込められています。
日本人の祈りは、ただ「お願いする」だけではありません。
それは、「自分もまた力を尽くす」という決意と共にある祈りであり、無償の愛を手渡す行為でもあります。
自然と共に生きてきた日本人は、山や川、風や月、あらゆるものにいのちを感じ、感謝と祈りを捧げてきました。
その長い歴史の中で培われた祈りの文化は、静かでありながら、非常に強いエネルギーを宿しています。
誰かのために真剣に祈るとき、祈る人自身もまた、清らかな力に包まれます。
その祈りは、時空を超えて届き、見えない世界を動かし、奇跡を起こすことさえあります。
病気の回復を願う祈りもまた、見えないけれど確かな力として、祈られる人の心と体に届いていきます。
日本人の祈る力は、静けさの中にありながら、大いなるものと深く結びついています。
その力は、病を癒し、運命を変え、そして世界をあたたかく照らしていくのです。
先日、二番目の脳神経内科主治医であったA先生が、ふと病室を訪ねてくれました。
私は今膠原病内科にお世話になっているのにも関わらず、何度か彼はふと訪ねてきてくれるのです。
脳神経内科での採血をとある都会の有名な大学病院に依頼し、その数値からして私の病名は「ギランバレー」かもしれないと言われていました。A先生自身もその時の数値からそう思ったらしいのです。
だけど、次の血液検査で一気に何かが変わったらしく、
「不思議なんだよなぁ。あの時の数値はなんだったのかなぁ」
「一番最悪の状況の時だったよなぁ。声も出てなかったし」と独り言を言うのです。
「先生。それって神様へのお祈りのおかげじゃない?」と私が言うと、
「僕は西洋医学を信じてるから、それはわからない」と彼は言いました(笑)
彼は決して見えない世界を否定しているのではなく、自分の立ち位置からの話をしてくれただけなのですが、何故か「気になる」らしいのです。医学の世界にも「祈りの力」を取り入れている先生方もたくさんいらっしゃいます。
またA先生の訪問を待って、いろいろ話せたら面白いなぁと思う私です。
ここで再び、
今回の私の状況に対し、心と祈りを向けてくださっている皆様に感謝しています。
ありがとうございます。
ここで今までの経緯もリンクを貼っておきますね。
https://ameblo.jp/myosshi/entry-12891460446.html
https://ameblo.jp/myosshi/entry-12892724037.html
https://ameblo.jp/myosshi/entry-12893347498.html
https://ameblo.jp/myosshi/entry-12894130998.html
https://ameblo.jp/myosshi/entry-12896834300.html