見えないからと言っても
まさに、寒の戻り![]()
昨晩から風がぴゅうぴゅうごうごう、家の造りがみしみしがたがたと軋んで。
朝はうっすらと積雪。
そして、今突然朝日が射し込んでくる。
私たちのはるか頭上では、大気の流れが季節を一進一退させている。
そうして、いつの間にか季節が移ろったことに気付く。
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昨日の午後は、暖かい曇り空の下、畑しごと。
冬のあいだ、野生動物たちが食料にしていた白菜や大根の片付け。
土の中に残された部分がまだまだ食べられるぐらい瑞々しかったり。
引っこ抜いた根元の土がふかふかになっていたり。
雪の前に収穫した部分から、また新しく柔らかい葉が生えていたり。
その葉っぱを目的に、動物たちが通っている形跡があった。
全部片付けるつもりだったけど、所々そのままに。
端から見たら、「きれいな」畑ではないけど、不思議な充実感を覚える。
人間がいない畑で、踏みしめられる土の下に、多くのいのちがある。
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ミャンマーのGDP成長率が、他の東南アジア諸国に比べて低いというニュースを聴く。
農業従事者が国民の大多数であること、真面目な国民性だということも知る。
これから日本の援助によって、農業分野でも発展する可能性があるという。
確かに、資金的にも技術的にも支援が必要な部分はきっとあるのだろう。
「大規模化」「機械化」「日本企業の進出」という言葉が脳裏によぎった。
いま、私たちが最良と思っている価値観が、
世界のすべての人に当てはまるわけではない。
私も悪気なく、無遠慮に、人を傷つけてしまうことがある。
時間を戻すことも出来ず、後悔と、心に痣が残る。
「他人のしあわせ」に対して、慎重に、丁寧に、敬意を持つべきだと思う。
しあわせと不幸は表裏一体だから。
お金がないことによって生じるかなしみがある。
お金それ自体が目的になって生まれる争いがある。
私が想像できないところに、苦しみを感じている人たちがいる。
究極の豊かさを経験してきた、そしてこれから他の先進国より一足先に
超高齢化社会を迎える日本と私たち。
「豊かさ」の功罪を知っている人たちとして、
そして誰も見たことのない地に最初に到達する者として。
もっと想像力を働かせて、目に見えないものを感じて、
自分以外のものを理解しようとしなければならない。
大して働いてもいないのに、大袈裟にも軽い筋肉の痛みを感じながら。
重い腰をあげて、今日も働こう。